最近、民主主義について考える機会が多かったので、その欠陥が気になってきた。
ルソーやロックによれば、民主主義の前提は、「すべての人間はバカだ」ということである。
人間はみな自分の欲望を満たすことしか考えていないので、王族など一部の人間に権力を委ねると、彼らは自分たちの利益のために国民を犠牲にするようになる。そうなることを避け、国民の利益を確保するためには、国民が主権者とならねばならない。国民が国民を支配するならば、自分で自分を支配するのと同じだから、国民のための政治が実現できるはずだ、という理屈である。
この議論のどこに問題があるかというと、なぜルソーはそのようなことを考えたのか、という点である。つまり、少なくとも民主主義という仕組みを考えた人間は、社会全体の福祉を向上させようという意志を持っていた。ゆえに、彼はバカではない。
すべての人間はバカであり、自分のことしか考えていない。それが民主主義の前提であったはずだが、民主主義という制度を提案した人間は明らかに善人であり、社会全体のために行動している。ここに根本的な矛盾がある。民主主義の前提どおりに、ほんとうにすべての人間がバカであったならば、民主主義という仕組みが実現するはずはない。なぜなら、誰かが権力を握ったが最後、彼は自分のために権力を独占しようとするからである。では、なぜ民主主義が存在しうるのかというと、賢い人間がいるからである。社会全体の利益を考えることができる賢い人間がいてはじめて、民主主義という仕組みが成り立つ。
したがって、民主主義という制度ははじめから矛盾を含んでいるといえる。それはすべての人間がバカであることを要求するが、その要求どおりの世界が実現してしまえば、もはやその制度を維持することすらできなくなる。民主主義的な教育は欲望に忠実な頭の悪い人間を作り出すが、まさに彼らこそが民主主義を破壊するのである。これは一種の自傷行為である。
我々はいま、民主主義が自壊するさまを目の当たりにしている。アメリカでは再びドナルド・トランプが大統領になり、日本では安倍晋三元首相が暗殺され、岸田元首相の暗殺未遂事件も起きた。日本国民は民主主義に否をつきつけている。
何かが間違っているわけではない。当然起きるべきことが起きているだけだ。民主主義は持続不可能な政治制度であり、社会資源をただ食いつぶすだけの害悪である。人を育てることを怠り、愚かな人間を量産した結果である。
人間は教育によって善人にもなるし悪人にもなる。自分の利益だけでなく、他者の利益を考えられる賢い人間を育てることが、ほんとうの政治である。
近況報告
最近、司法書士になるための勉強をはじめた。
とりあえず、お金を稼げるようになりたいと思っている。本を売ってお金を稼ぐよりも、自分でお金を稼いで本のPRをしたほうが早いことに気づいた。
法律の勉強は初めてだが、けっこう楽しい。世界政府論の続きを書くためにも法律の知識は必要なので、一石二鳥である。
いま民法の勉強をしているが、日本の民法はやはり所有権に基づいているようだ。ゆえに、もし所有権を否定するならば、民法をすべて書き改めねばならない。我々は所有権、というより権利という概念なしに法律を書き直す必要がある。そのためにどんな概念を基礎におけばよいのか、学ぶべきことは多い。
我々はこれから新しい社会を作らねばならない。そのための基礎作りは、私一人ではできない。多くの人の協力が必要である。なにをすればいいかは、まだわからない。これから法律の勉強をするなかで、なにか新しいアイデアを思いつくかもしれない。所有権を否定した民法がどのようなものになるのか、このHPを読んでくれている皆さんとともに、考えていきたい。