徳は教えられうるか

プラトンは、対話篇『メノン』において、徳は教えられうるか、という問題を提起している。そこでは明確な回答が与えられているわけではなく、また、哲学者がこの問いに答えられたためしはない。

しかし、その問題はすでに仏陀によって解かれている。徳を教えることはできる。それは物乞いによってである。


徳とは憐みの心であり、他者を思いやる心である。では、それはどのようにして身に付くのか。それは元々その人に備わっているものなのか、それとも学習されるものなのか。

赤ん坊には徳が備わっているように見えないことから考えれば、それはおそらく学習によって身に付けるものである。そして、学習は繰り返しによって行われる。

上手く文字が書けるようになるためには、何度も何度も文字を書く練習をする必要がある。それと同じように、徳を身に付けるためには、まず徳を実践する必要がある。自分の持ち物を他者に分け与えるということは、人間の徳の一つである。したがって、他者への施しを繰り返すことによって、徳を学習することができるはずである。そして、ある人が施しを為しうるためには、それを受け取る人がいなければならない。そのために必要とされるのが、乞食行者である。

修行者が家々を回り、食を乞う。家人が施しをすると、修行者は彼に祝福を授ける。そうして物乞いを続けることによって、人々の間に徳を育てることができる。それが、プラトンの問いに対する仏陀の答えである。

仏陀は全ての問題に答えを与えている。彼が現われた後には、哲学者の仕事は何一つ残されていない。哲学は、二千五百年前にすでに終わっているのである。

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