二つの天皇家

1

私は、聖徳太子に関する日本書紀の記述に疑問を持っている。

日本書紀においては、推古天皇が隋の煬帝に国書を送ったことになっている。しかし、中国側の記録では、その時の日本の大王には妻がいたとされている。つまり、大王は男だったはずである。


おそらく、聖徳太子は実際には大王だった。そう考えなければ、彼の死後、彼の一族が皆殺しにされたことは説明できない。山背大兄以下の血族が葬られたのは、彼らに王位継承権があったからである。王位継承権の上位者がいなくなることで、下位の継承者が王位を継ぐことになった。それが天智・天武の家系である。

その後、彼らが日本書紀を記述したのだから、自分たちの家系にとって不都合な事実を抹消し、歴史を改ざんしたのは当然であろう。聖徳太子が大王だったことを記したならば、その王位がどうして天智・天武の家系に移ったのか、ということをも記述せざるをえなくなる。だから、聖徳太子は大王ではなかった、ということにしたわけである。そのようにして、天皇の家系は正当化された。

このように考えると、聖徳太子は存在しなかった、という主張も理解しやすくなる。たしかに、記紀の中の聖徳太子に関する記述は、現実性が薄く感じられる。それは当然で、実際には大王だったものを摂政だと書き換えたので、その部分だけは後世の創作になっているからである。本当は、太子は太子ではなく、聖徳大王であった。

むろん、これは仮説である。そして、この仮説が正しかったとしても、証拠はすべて抹消されているはずなので、歴史資料に基づいてこれを証明することは不可能である。しかし、私は、この仮説を信じている。というより、どうしてもその疑いを払拭することができない。この仮説を支持する証拠は確かに存在しないが、これを否定する証拠が存在しないことも確かなのである。

2

日本には二つの天皇家がある。一つは天智・天武の家系、つまり現在の天皇家である。もう一つは聖徳太子の家系である。

後者は血筋が絶たれてしまったが、その理想は日本の歴史の中で生き続けている。太子が目指したものは、仏法を基礎とする国家の建設である。天皇よりも法が優越するような国家である。その理想は、源氏や徳川の武家政権に受け継がれ、そこに体現されていたのだと思う。彼らは影の天皇家の系譜に属する。


聖徳太子が目指したものは、仏法を基礎とする国家である。それは十七条憲法の中に最もよく表れている。

憲法の第一条は、和を以て貴しとなす、である。これは仏法の神髄を表現したものである。第二条は、篤く三宝を敬え。これは、仏法に対する日本人の心構えを示したものである。そして第三条が、君をば天とし、臣をば地とす、となっている。つまり、日本人にとって仏法が第一であり、天皇は二の次に過ぎない、ということである。太子ご自身がこのことをお示しになったということは、注目すべきことである。

一方で、天智・天武系の天皇家が目指したものは、中国風の、皇帝を頂点とする国家である。そこで尊重された道徳は儒教であり、つまり親子関係だったと考えられる。中国では、皇帝のことを天子という。天子とは、天帝の子供、という意味である。天帝の子供が地上の皇帝であり、皇帝の子供が臣民である。だから、臣民は親に仕えるように皇帝に仕え、皇帝は親に仕えるように天帝に仕えるわけである。そのような家族関係に基づいた倫理が、社会のすべてを貫いている。それが儒教の道徳である。

そして、それは日本には根付かなかった。日本に根付いたのは、主従関係を基本とする道徳である。いざ鎌倉や、滅私奉公が日本の社会を貫いている。それは、親子関係とは本質的に異なる価値である。

滅私奉公において、親は私に含まれる。つまり、親を捨てるということが、滅私奉公という道徳の中では正当化されうるのである。これは儒教的な価値観の中ではありえないことである。中国人が下克上という観念を嫌うのは、そこに、親を弑するという考えを感じ取るからだろう。もちろん、それを忌み嫌うのは中国人だけではなく、世界中のたいていの民族は下克上を嫌う。

下克上は、滅私奉公と両立しうるものである。ここでいう上下は、権力関係における上下であって、公私の区別とは関係がない。つまり、公のために上位者を廃するという、革命の観念がここには含まれているのである。

このように、家族よりも公を重んじるということが、日本人の道徳の基調となっている。そしてそれは、聖徳太子が礎を築いたものだと言えるのである。権力闘争において太子の一族は敗れたが、国家の建設という点では、太子の理想が勝ったと言えるのではないか。

3

付言しておけば、西洋における法は、家族関係と両立するものである。西洋人にとって、法とは神の言葉であり、神とは父である。ゆえに、西洋的な法治主義は、日本的な滅私奉公とは一致しない。それはむしろ、儒教的な道徳と似ているだろう。西洋にも公という観念は存在しない。

三宝とは仏法僧である。このうち僧とは、修行者の集まりである。修行者とは、世俗を捨てて、仏の道に入った者のことである。世俗を捨てるということは、世間の仕事を捨て、家族を捨てることである。家族を捨てるということは、親を捨て、子を捨て、妻を捨てることである。つまり仏教的な倫理は、親を捨てたところに成立するものである。このような倫理を、西洋人はまだ知らないのではなかろうか。

キリスト教においては、神を父、キリストを子とみなし、そこから親子関係に基づいた倫理が生まれる。これは、天帝を親、皇帝を子とみなす儒教の倫理と全く同じものである。一方で、仏陀の求道は親を捨てることから始まる。彼はそこに真の平等を見出したのである。

キリスト教を離れたのちも、西洋の道徳は家族関係を越えることができなかった。というより、道徳そのものを放棄してしまったように見える。西洋文明は明らかに退化している。

<参考>
日本人の道徳
倭国と隋の外交政策
壬申の乱

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