近代国家から世界政府へ

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 近代国家という政治体制が確立されたのは、フランス市民革命と、それに続くナポレオンの時代だったと考えられる。つまり、フランスがヨーロッパで初めて近代国家となったわけであるが、その政治形態はフランスに留まらず、周辺国家へも波及してゆくことになる。
 なぜ近代国家という政治機構は、瞬く間にヨーロッパ中に広がり、そのご世界中に広まったのだろうか。
 その理由は、軍隊の強さにあると考えられる。ナポレオンは強かった。それは彼の才能のみによるものではなく、軍隊の性質が、それ以前とは全く異なっていたという理由もある。

 国民国家は、国民によって構成された国家である。それは、自国民と他国民とを区別する排他性を特徴とする。まず、国家の領域を明確に区切り、その内側を自国、外側を他国と定義する。その上で、国家の領域を守るためには、国民は命がけで戦わねばならない、という考えを国民に刷り込む。
 人間は、自分の愛するもののためであれば、命がけで戦う。その性質を利用して、国家という巨大なものを、一つの愛の対象として定義しなおすわけである。実際には、国家が戦争に負けたからといって、一兵士の家族が死ぬとは限らない。だから、兵士が国家のために命を捨てねばならない理由は、本当はない。しかし近代国家は巧妙にその問題をすり替え、兵士が国家のために死ぬように仕向ける。そうしなければ、戦争に勝てないからである。

 それまでのヨーロッパの戦争は、傭兵を中心に行われていた。傭兵は金のために戦うので、命を捨ててまで戦おうとはしない。それに対してナポレオンの軍隊は、一兵卒に至るまでが命がけで戦った。その戦闘力が周辺諸国を圧倒したのである。ゆえに、周辺国家が生き残るためには、彼ら自身も近代国家という政治体制を採用するしかなかった。そのようにして、ヨーロッパ中で近代国家が成立していったのである。
 つまり近代国家は、本質的に戦争のためにある。戦争に勝つために、国民国家が必要とされてきたのである。そして国民国家、あるいは市民社会というものを支える理念として、民主主義も同時に必要とされてきた。したがって、民主主義は戦争のために存在する、と言うことができる。

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 このような国民国家体制は、ヨーロッパとは独立に、同時期の日本においても成立していたと考えられる。
 おそらく江戸幕府は、国民国家の集合体である。「お国のために」と言う場合の国は、もともとは藩を意味していた。つまり江戸時代の藩は、一つ一つが国民国家のようなものであった。日本では、ヨーロッパとは無関係に、しかしここでもまた戦争のために、国民国家が成立していた。

 国家が国民に命がけで戦うことを要請することは、必ずしも不道徳なことではない。なぜならば、国家が生き延びることが、国民が生き延びることにつながるからである。だが戦争がいらなくなった世界では、もはや近代国家は必要ない。現代において、それはすでに時代遅れである。
 逆に考えれば、近代国家は不要であると認識されつつあるということは、戦争の必要性が薄らいでいる、ということを意味している。我々の社会は、確実に平和へと向かっている。

 しかしながら、国民国家的な枠組みは相変わらず機能し続けるだろう。それはなぜかといえば、共通の言語を話す人間集団が、政治的なまとまりを作ることは自然だからである。言語の違いは人間にとって非常に大きな障害であり、これを乗り越えることは容易ではない。したがって政治的な集団は、言語の違いをもととして構成されるはずである。それはおそらく、国民国家の境界とほぼ一致するだろう。
 ゆえに現存する国民国家は、一つの政治的な単位として、これからも存在し続けるだろう。しかしその境界は、以前ほど厳密に決める必要はなくなる。なぜならば、国民国家が厳密な境界を必要としたのは、基本的には戦争のためだったからである。戦争のない世界においては、そのような厳密性は不要であり、無駄である。
 そのように境界を放棄することによって、それら諸国家よりも、さらに上位の政治的な単位が存在する余地が生まれるだろう。我々はこの最上位の政治単位を基準にして、これからの政治を考えてゆくようになる。これが、世界政府への私なりの見取り図である。

 我々はまず、戦争のなくなった世界がどのようなものであるか、ということを考えねばならない。そして、それが分かった後で、その世界を実現するためには何をすればよいか、ということを考えればよい。つまり、まず結果について考察し、然る後、その結果を生み出す原因について考察する、ということである。原因が分かれば、後はそれを実行するだけでよい。
 これは、阿弥陀如来が因位の菩薩であったときに、五劫思惟の中で実践したことと同じである。彼はまず、自分が実現すべき極楽浄土を心に描き、それを実現するための手段について思いをめぐらした。その手段を突き止めるまでに、五劫の時間を要したわけである。

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 国語というものは、人工的に作られるものである。それは近代国家を構成するための、不可欠の条件だと言ってもよい。だが、近代国家がなくなったとしても、国語が必要なくなるわけではない。それは、政治のための言語として役立てられるだろう。

 日本語の場合、一度目は万葉集から古今和歌集の時代に、二度目は明治維新の頃に作られたと考えられる。
 一度目は、中国語からの差別化として理解される。初期の大和朝廷において、貴族たちが日本語を話していたという保証はない。おそらく朝鮮語や中国語の方言が、共通語として話されていたのではないだろうか。その後日本の独立とともに、国語としての日本語の可能性が模索され、様々な文体の変遷ののちに、平安時代前期に日本語は一定の完成をみた。
 二度目は日本語の英語化である。まず、英語の文献を翻訳するために、日本語の文章構造が英語に合わせる形で変化した。そのご学校教育を通して、日本全土に標準語が普及していったわけである。三度目があるとすれば、戦後の新仮名遣いだろう。

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