新型ウイルスについて(1)

新型コロナウイルスの蔓延を、見えない敵との戦いにたとえる人がいる。いったい我々は、何と戦っているのか。

それはウイルスではない。それは、生への執着との戦いである。自分自身への執着との戦いである。

新型ウイルスは風邪ウイルスの一種であって、おそらくは、人類全体にこのウイルスへの免疫ができるのを待つしかない。つまり、全人類がこのウイルスに感染すれば、みなに免疫ができ、流行は終わる。それが遅いか早いかという問題でしかない。

それを大げさに、見えない敵との戦いなどと言って、恐怖心をあおろうとする人々がいる。彼らは命が惜しいのである。何が何でも、自分の命が失われることを避けようとしている。それはつまり、避けようのないものを避けようとする、ということである。人は必ず死ぬので、死ぬことを恐れていたら、生きることはできない。その道理が分からない愚か者が、いまの日本には大勢いるわけである。それこそが、見えない敵である。死を恐れる愚か者こそが、この社会の敵である。


我々は、ウイルスに勝つことはできない。なぜならば、ウイルスは敵ではないからである。ウイルスは人類と共存するものである。

病気になれば人は死ぬ。当たり前のことである。その当たり前を受け入れられない、愚かな人間が増えていることが問題である。自分だけは死なない、と考えることほど愚かなことはない。人はみな死ぬ。ただ、遅いか早いかという違いしかない。

日本人がこのように命に執着するようになったのは、キリスト教が原因である。明治の廃仏毀釈によって、仏教を捨て、キリスト教を受け入れたために、日本人はこんなにも愚かになってしまった。情けないことである。

このように、人はみな死ぬ、と言うと、じゃあ、どうせ死ぬのだから勉強なんかする必要ない、などと言い出す人間が必ず現れる。

しかし、いずれ死ぬのだとしても、いまは生きているのだから、生きている間は、やるべきことはやらねばならない。明日死ぬかもしれないから、今日は何も食べなくてもいい、などと言う人間はいない。明日死ぬのだとしても、今日の飯はしっかり食わねばならない。それが人間である。

だが、あまり死ぬのを怖がりすぎると、今日の飯を食うのにも苦労するようになってしまう。それでは本末転倒である。だから、よく生きるためには、死ぬことを怖がってはいけない。命に執着してはいけないのである。

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