『鬼滅の刃』感想

先日テレビで『鬼滅の刃』の総集編をちらっと見て、気になったのでAmazonPrimeでTVシリーズを見ている。面白い。

これは王道のジャンプ漫画だと思う。奇をてらったところがなく、ある意味では地味だが、一つ一つのエピソードやキャラクターの描写が丁寧で、安心して見ることができる。人間的な温かさも魅力で、たとえば序盤に出てくる主人公の師匠は、ぶっきらぼうだが根は優しいというベタな人物造形ながら、こういう話を最近見てなかったな、と感じた。ありきたりであるとともに、だからこそ生まれる安心感があり、安易な奇抜さに逃げない堂々とした語り口である。

また、修行パートをしっかり描いていることも好感が持てる。修行の終盤で出てくる「男なら、あきらめちゃダメだ」的なセリフは、最近のジェンダーフリーの価値観に逆行するようにも見えるが、昔ながらの熱血少年らしい暑苦しさがあってよい。こうして改めて見ると、当時の陸軍学校などは、まさに修行の場だったのかもしれない。

次に、この物語に出てくる鬼についてだが、あれは鬼というよりゾンビに近いのではないか。ふつう鬼というと、人間とは別の世界に生きる生き物で、それ自体の生活を営んでいるという印象がある。つまり、鬼には鬼の世界があるということだが、『鬼滅』の鬼は人間が化けたものであり、人間社会に寄生している。だから鬼よりは幽霊に近く、幽霊よりはゾンビに近いと思う。

あれをゾンビだと思うと、妹の禰豆子は、ゾンビと共生する話だと理解できる。典型的にはジョージ・A・ロメロの『サバイバル・オブ・ザ・デッド』で、ゾンビになった親族と共同生活を営む人々の物語が描かれているが、禰豆子の話はそれを発展させたものだと考えられる。むろん似たような物語は過去にたくさんあると思うが、ゾンビつながりで思い出したので書いておく。

ufotableの作画は言わずもがなで、素晴らしい。まだ途中なので、じっくり続きを見ようと思う。


たしか横山臣平が言っていたのだと思うが、明治四十年、彼が石原莞爾とともに陸軍士官学校に入学したとき、上級生から下級生への体罰がひどかった。石原は、入学当初は体罰に批判的だったが、だんだん考えを変えたという。

というのも、士官学校に通う生徒たちは、いずれ兵を率いて戦場に出るようになる。そのとき彼らが生半可な覚悟でいれば、命を落とすのは配下の兵たちである。だから、学校にいるうちに覚悟をつけさせるために、体罰も必要かもしれない、と。そこで横山が、では貴様は下級生を殴るのか、と聞くと、石原は何も答えなかったという。

タイトルとURLをコピーしました