満洲とロシア

1

 もしも中国共産党が、新疆地区のウイグル族は共産党の支配を喜んで受け入れている、と言ったとしても、多くの日本人はそれを信じないだろう。しかし同じ中国政府が、満洲事変は侵略戦争だった、と言えば、日本人は無条件でそれを信じる。これは不思議なことである。
 当時の満洲で暮らしていた人々が、満洲国をどう評価したかということと、現在の中国政府が満洲国をどう評価するかということは、全く別の問題である。それを混同するべきではない。

 満洲国で暮らしていた人々は、奉天軍閥が戻ってくることを本当に望んでいたのだろうか。満洲事変の前と後で、住民の生活はどのように変化したのか。満洲の治安状態は改善したのか、悪化したのか。
 満洲事変はたしかに、満洲に住む人々の福祉を向上させた。その事実を無視してはならない。

2

 満洲国を破壊したのは、日本から来た官僚たちである。彼らは、満洲国が建国された歴史的な経緯も、その理念も全く理解していなかった。それが、第一義的には満洲に住む人々のものである、ということを理解しなかったし、するつもりもなかった。
 彼らにとってそこは、新しい国家の実験場、自由に形を作れる砂場のようなものだった。彼らは満洲を私物化し、経済的な実験を繰り返して、それを奇妙な怪物へと変えてしまった。
 岸信介のような経済官僚は、満洲国にとっては悪夢でしかなかった。かの地で人体実験を行ったのは、軍医たちだけではない。満洲という国家の身体を切り刻んだのは、彼ら経済官僚である。

3

 ロシア人は日本人を恐れている。太平洋戦争末期、日本政府はソ連政府に対して、アメリカとの講和の仲介を依頼した。ソ連はこれを断ったが、そのこと自体が不可解である。
 ソ連とアメリカとの関係からいえば、ここで日本の申し出を受け入れて、日本に恩を売るという選択肢もあったはずである。日本の国土には戦略的な価値があるので、日本を味方に付けておくことは、彼らにとって十分に利益があった。またその際の交渉によって、平和裏に満洲を割譲させることもできたかもしれない。
 しかし、ソ連はそうしなかった。彼らは日本政府の提案を受け入れず、あべこべに日本への侵攻を開始した。

 当時の日本は、アメリカ軍の爆撃によって全国の主要都市に壊滅的な打撃を受け、また原爆の投下によって、広島・長崎は灰燼に帰していた。そのような状況で、なぜソ連は、わざわざ日本に侵攻する必要があったのか。日本にもう戦う力がないことは、明らかだったのではないか。
 だがロシア人からすれば、そうとも言えなかった。日本人が原爆程度で死ぬはずがない。東京が消滅したぐらいで、日本人が戦いをやめるはずがない。そう確信していたからこそ、彼らは手を緩めなかった。ロシア人は、日本人を人間だと思っていない。鬼か悪魔のように考えている。
 もともと彼らは被害妄想が強く、誰もがロシアを狙っている、と思い込みがちである。そのため周辺国に対して強硬な姿勢をとることが多いが、とくに日本に対しては、異常と言えるほどの警戒心を抱いている。それはなぜかといえば、やはり日露戦争とシベリア出兵が原因だろう。

 ロシアの権力はアジア型である。ヨーロッパの権力は、市民契約説とか王権神授説とか、イデオロギー的なものによって支えられている。しかしロシアの権力は、中国の権力に近い形をしている。つまり皇帝の徳によって、権力が維持されているわけである。
 そのため皇帝は常に、自分に徳があることを示し続けなければならない。その第一の条件は、人民を守る力があることを示すことである。中国の場合は、夷狄からの朝貢がそれであり、ロシアの場合は、対外戦争に勝利することが皇帝の義務であった。その義務を履行できない場合、皇帝の権威は失墜し、帝国は崩壊せざるをえない。
 その引き金を引いたのが日露戦争であった。この時のトラウマがあるので、彼らは日本を過剰に警戒しているのだろう。その後のシベリア出兵が、そのイメージをさらに強固なものにしてしまった。

4

 だいたい、日本人は戦争が強すぎるのである。先の大戦の原因として、国際社会における日本の孤立を挙げる人が多い。彼らはさらに、日本の外交下手がその状況を招いたのだ、と分析するが、果たしてそうだろうか。
 私の意見では、どれだけ外交が下手であっても、あんな風に孤立することはありえない。当時の日本は、ほとんど世界のすべてを敵に回していた。三国同盟はたしかにあったが、ドイツが日本の味方だったと言えるかどうか、疑わしい限りである。

 そもそもナチスの教義によれば、日本人は劣等民族である。優秀な民族であるドイツ人が、本当に日本人を対等な同盟者とみなしていたのだろうか。また日中戦争の初期において、日本軍と対峙した中国兵を指導していたのは、ドイツ人の将校である。ナチスは蒋介石のもとに軍事顧問団を派遣し、戦争指導を行わせていた。つまり事実上、日本とドイツは敵同士だったのである。それから数年で、両者が信頼関係を築けたとは思えない。
 以上の理由から、日本とドイツの同盟関係は表面的なものにすぎず、嫌われもの同士が手を結ばざるをえなくなった、という程度のものだったと考えられる。

 では、どうして日本がそこまで嫌われていたのかといえば、たぶん強すぎたからだろう。
 日本軍の強さは装備の強さではない。どちらかといえば、装備では常に負けている。日本軍の強さは心の強さである。味方がどれだけ劣勢でも、命を惜しまず奮起するので、稀にあるチャンスを確実につかむことができる。その結果、何度も劣勢を押しのけて勝利を手にしてきた。そのために、実力以上に強く見えたわけである。
 ゆえに、おそらくどんな外交を展開しても、日本の孤立は避けられなかったと思われる。なぜならば、誰もが日本を警戒していたからである。目立ちすぎるのも良くないということだろう。

5

 戦争は数ではない。戦争において重要なものは時間である。兵力においてどれだけ勝っていても、それを前線に投入できなければ意味がない。
 たとえば、真珠湾攻撃における日本側の戦果は、時間を稼いだことである。ハワイに結集していた米海軍機動部隊を壊滅させることによって、米軍が前線に投入できる兵力を大幅に減らすことができた。もちろんアメリカの生産力をもってすれば、十や二十の艦隊を作り出すことは造作もなかっただろう。しかし、それには必ず有限の時間がかかるのである。
 そのようにして獲得した時間的な猶予を、日本軍が有効に活用したかどうかという点については、様々な評価がありうるだろう。だが、一度動き始めた軍隊は、放っておいても占領地域を拡大してゆくものである。そしてそれはある程度、日本側の戦略目標と合致していた。

 大本営がそれを正しく認識していたかどうかは分からないが、太平洋戦争は、日本にとっては防衛戦争であった。というのも、日本側にアメリカ侵攻の手段がない以上、それは守りの戦争になるしかないのである。そして守りに徹する場合に重要なことは、これもやはり時間を稼ぐことである。
 なぜならば、戦争が長引けば長引くほど、攻める側には不利となるからである。戦争を続けるということは、それだけで体力を使うことである。ゆえに、戦争が長引くほど相手は疲れ、諦めて帰ってしまうかもしれない。また敵国内部に、戦争を続けられなくなるような事情が生じる可能性もある。それは内乱でもよいし、天変地異でもよいし、後継者問題でもよい。何らかの問題が生じれば、戦争をやめざるをえなくなるだろう。そしてそのような問題が生じる可能性は、戦争が長引くほど高くなるわけである。
 よって守る側にできることは、できるだけ時間を引き延ばして、相手の意志が挫けるのを待つことである。日本軍は、そのためにできるだけのことをしたと言える。

6

 また、日本人の性質が戦争に向いていることは、言うまでもないだろう。日本人は組織的な行動が得意であり、また忍耐強い。その特性がそのまま、日本軍の強みとなっていた。
 例を挙げて説明しよう。一九二七年、広東を出発して北伐の途上にあった中国国民軍は、まず上海を攻略し、続いて南京を占領した。その際に国民軍の一部が、日本を含む各国領事館を襲撃するという事件が起きた。いわゆる南京事件である。この中国兵の暴行に対して、イギリス軍やアメリカ軍は艦砲射撃で応戦したが、日本軍は一切攻撃を行わなかった。
 その理由は、日本側の陸戦部隊の戦力が不足していたためだ、とされている。もしも、日本の攻撃に対して中国側が逆上し、日本人居留民を虐殺するなどの蛮行に及んだ場合、日本側にはそれを防ぐだけの戦力がない。そのため、国民軍を刺激しないようにしたわけである。

 このときの日本人の行動は、非常に合理的であり、冷静であった。問題は、それが合理的すぎたということである。領事館員が暴行を受けているとき、海軍陸戦隊の隊員は、間近でそれを目撃していた。目の前でそれを見ていたにもかかわらず、手を出すなという命令を受けていたため、何もしなかったのである。
 日本人は、個人の感情よりも、組織の論理を優先させる。それは彼らの忍耐力がなせる業であり、称賛されてしかるべき性質ではあるが、日本人以外には理解不能である。現にこの事件をきっかけとして、中国人は日本人を見下すようになり、英米は日中両政府の接近を疑うようになった。

 日本人の行動は非の打ち所がないほど合理的であったが、それゆえに、全く人間的には見えなかったのである。この合理性は、戦場においては勇敢さにつながり、仕事の場においては勤勉さにつながるものである。それはたしかに強みなのだが、他の人々からは誤解されやすいものでもある。
 これに関して、別に誰かが悪いというわけではない。ただ、そういう誤解が過去にはあったし、今もあるだろうし、民族の性質というものは容易に変わることはないだろう、と思うだけである。

7

 ついでに、真珠湾事件はアメリカ政府の陰謀だった、という意見について考えてみたい。結論から言えば、それは事実だと思う。事件の前後におけるルーズベルトの言動から判断する限りでは、彼は事前にそれを予想していた、と考えざるをえない。遅くとも、前日にはそれを把握していたはずである。
 一方で、事件の報告を聞いたルーズベルトが、腰を抜かすほど驚いていた、という証言も残っている。これは一見不可解である。もしも、奇襲のあることを事前に予想していたのだとすれば、どうして彼はそのニュースに驚いたのだろうか。

 おそらく、彼は奇襲のあることを知ってはいたが、その被害の大きさについては予想していなかったのだろう。実際に現地からの報告を聞いて、その被害の甚大なことに驚いたわけである。
 結局のところ、アメリカ人ほど間抜けな民族はいない。自分の陰謀で自滅しているわけだから、放っておいても害はないだろう。

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