人と獣の住み分け

国土の手入れ

最近赤とんぼを見なくなった。昔は秋になると、空を埋め尽くすほどの赤とんぼがやって来たものだが。彼らはどこに行ったのだろう。

トンボやメダカなど、日本の田園を象徴する動物たちが姿を消し、そして田園そのものも姿を消しつつある。新幹線に乗ったときに目につくのは、きれいに植えられた田んぼではなく、耕作放棄された田畑である。日本人は国土の手入れを怠っているのではないか。

我々は哺乳類の一種として、日本の生態系の一翼を担っている。我々が田んぼを作るから、そこを住みかとしてカエルやトンボが育ち、休耕中の田畑にハクチョウが落穂を拾いに来る。また、オオカミを滅ぼした我々には、動物の数を調整する役目もある。一般には、秀吉の刀狩によって、農民は武装解除されたと信じられているが、実際には多くの刀剣や鉄砲が農村には残されており、江戸時代には猟銃による害獣の駆除が広く行われていた。

境界線を引く

日本は自然の力が強い国である。人間が自然を押し返そうとしないと、あっという間に自然のほうが人間社会を侵食してしまう。ここは我々の家である。それと同時に、様々な動物の家でもある。我々が家の手入れをすることで、同居人にとっても住みやすい環境を作ることができる。

だから、イノシシを殺すことをためらってはいけない。どうせ来年になれば、あの連中はいくらでも湧いて出てくる。我々がどれだけイノシシを殺しても、彼らの数は減らない。なぜなら次々に増えるからだ。ドラえもんの秘密道具のように、彼らは倍々で増えてゆく。それ以上のスピードで殺し続けなければ、やがて日本はイノシシの国になるだろう。

人間の力はせいぜい等加級数的だが、自然の力は等比級数的である。ゆえに、自然に対しては力の行使をためらってはならない。敵は常に、我々を圧倒する力を持っているからである。

たとえば、人間がイノシシの領域に入り込み、彼らの子供に近づくならば、彼らは我々を殺すつもりで襲い掛かってくるだろう。同じように、彼らが我々の領域を犯すならば、我々は彼らを殺さなければならない。それがルールである。イノシシは山に住み、人間は里に住む。そこには明確な線引きが必要である。

我々はこれまで、その境界線を自ら破り、山を削り森を壊してきた。そのため境界が不明確になり、彼らは我々の領域に侵入するようになってしまった。これは互いにとって不幸なことである。もう一度線を引き直さなければならない。

武士道と狩猟

千葉徳爾氏が『たたかいの原像』で述べていたことだが、武士道の起源は狩猟の中にある。獣との対峙のなかで育まれた倫理が、人に対して適用されると武士道になる。

面白い意見で、たしかに日中戦争を見ていると、日本人は農作業の延長のように戦争をやる。まるで緊張感がない。日本人にとっての戦争は、生活の延長線上にあるものなのだろう。

狩猟においては、獲物に対する敬意が必要である。相手の命を軽んじず、礼を尽くして対さねばならない。それが武士道の起源である。

タイトルとURLをコピーしました