神の血脈

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現在の天皇陛下は第百二十六代である。最初の天皇が神だったとすれば、それは百二十五代前のことになる。ゆえに、もしも、全ての天皇が人間と結婚して子をなしたのだとすれば、現在の天皇陛下は、ほぼ完全に人間である。

たとえば、父親がロシア人ならば、その人には 2 分の 1 だけ、ロシア人の血が流れていることになる。祖父がロシア人ならば 4 分の 1、曾祖父がロシア人ならば 8 分の 1、高祖父がロシア人ならば 16 分の 1 だけ、ロシア人の血が流れていると言える。それと同じように、125 代前のご先祖が神様ならば、その人には、2 の 125 乗分の 1 だけ、神様の血が流れていることになる。これは、実質的にはゼロである。

つまり、たとえ初めの天皇が神だったとしても、現在の天皇陛下は百パーセント人間である。神様の血は一滴も流れていない。ゆえに、最初の天皇が神であったかどうかというのは、些細な問題である。

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だから個人的には、天皇の血筋にこだわる必要はないように思う。たとえば、養子が天皇になっても構わないはずである。もちろん伝統は伝統なので、それを無視するわけにはいかないが。

国家元首の後継者を決める一番合理的なやり方は、ダライ・ラマの転生制度ではないかと思う。国民の中から無作為に次の指導者を選ぶのだから、これほど公平なやり方はない。

君主が世襲である場合、世継ぎが確保されれば、国民は安心する。今の君主に世継ぎが生まれないことほど、心細いことはない。しかし、多くの世継ぎを確保しようとすれば、それだけ費用がかさむ。江戸時代には、将軍の側室が何百人といて、それが幕府の財政を圧迫していた。世継ぎを確保したいならば、皇室を大きくすればよい。しかし、大きくなればなるほど維持が難しくなるし、そもそも現代社会の通念に反する。

昔は華族というのがあって、それが、皇室に人材を供給するプールのような役割を果たしていた。一国民が皇室に入るというのは、心理的に大きな負担である。しかし華族ならば、もともと皇室に近い環境で育っているので、心理的な負担はそこまで大きくない。華族というものが、天皇と国民の間にはさまって、緩衝材になっていたわけである。それも今はないので、天皇家と国民の間には、巨大な溝ができてしまった。こうなると、皇室が先細りになるのは当然である。

結局、ある夫婦に子供が生まれるかどうか、それが男の子かどうかというのは、確率の問題なので、成り行きに任せるしかないのだろう。

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国民と皇室の距離を縮めるために何をすればよいかと言えば、まず溝を埋めるべきだろう。

もともと天皇が京都にいらっしゃったときには、御所の周りにあんなに大きな堀などなかった。天皇は庶民と同じ高さで、同じ空間で生活していたのである。それが明治になって江戸城に移ってくると、天皇家の性格が変わってしまった。城とは戦争のための城塞であり、外敵の侵入を拒む目的で作られたものである。そういう場所に天皇陛下が立てこもられてしまったので、おのずと国民との間に心理的な距離ができてしまった。

その距離を縮めるためには、城塞としての江戸城の機能をすべてなくしてしまえばよい。つまり、皇居の周りのお堀を埋め立てて、周りの空間と一体にしてしまえばよいのではないか。つねに国民の中で、国民と共にある、というのが本来の天皇家だったはずであり、その姿に戻ってもよいと思う。もちろん、京都の御所にお戻りになっていただくという選択肢もあるかもしれないが、現代日本の中心はやはり東京なので、陛下には東京に居ていただかないと困る。

我々は、明治政府によって作られた近代的な天皇家の性格を、少しづつ崩してゆくべきではないだろうか。そのために何が必要で、天皇家がどうあるべきなのか、様々な議論が必要である。


私ごときがこのようなことを述べるのはおこがましいことではあるのだが、無礼を承知で敢えて述べさせてもらう。

天皇たる人に必要な資質は赤心である。まごころである。自分のことだけでなく、他人のことを思いやる心である。自国の民だけでなく、他国の民をも思いやる心である。それ以外に必要なものはない。

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