英語の特徴

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英語が論理的な言語であるというのは、不正確な表現である。実際には、英語は、論理的な表現しかできない言語である。

つまり、英語では、自分がすでに分かっていることしか、表現できないということである。しかし、自分でも十分に理解できていない考えというものも、あるはずである。ところが、そういうものを英語で表現することはできない。だから、自分でも理解できていないものを、手探りで考えてゆくということが、英語を使うとできなくなる。それは英語の欠陥である。

そういうものを英語で表現しようとすると、分かったふりをするしかなくなる。本当はよく分かっていないものを、英語の論理に当てはめて、分かったようなつもりになって書くのである。そうしないと、ちゃんとした文章ができない。つまり、英語は知ったかぶりの言語である。

ある考えが論理的であるからといって、それが常に正しいとは限らない。また、ある考えが論理的でないからといって、それが常に間違いだとは限らない。

英語の表現は、正しい可能性のある考えも、それが論理的でないという理由だけで、削ぎ落としてしまっている。そのため、英語の話者には、論理的な考えしか理解できないのである。論理的でない考えは、彼らにとっては存在しないのと同じである。

だから彼らは、自分の間違いに気づくこともできず、新しいことを学ぶこともできない。なぜなら、自分が間違っているということを、論理的に表現することはできないからである。それは、論理が通らない、という形でしか認識できない。しかし、そういうものを、英語で表現することはできないのである。

英語で表現できる物事の範囲は、非常に限られている。そして、そういう言語を使っている人は、自分の認識の狭さに気づくこともできない。それを理解する手段がないのである。

2

一方で、日本語の表現はもっと柔軟である。それはおそらく、日本語が漢文をベースにしているからだと思われる。漢字の表現力は凄まじいが、扱いにくいという難点がある。日本語はそれをよく克服していると言える。

使い方によっては、日本語はいくらでも論理的になる。一方で、論理的でない文章も表現することができる。それは、表現力が高いということであり、日本語の長所の一つである。

英語は経験の浅い言語である。自分とは異なる思想を受け入れるという手続きを、まだ経験したことがない。しかし、英語の欠点は、これから英語を改良してゆくことで、解決することができると思う。もちろんそれは、我々の仕事ではないのだが。

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また、パースによれば、自己の認識は、誤りの認識から生じる。人間は、自分の判断が間違っていることを理解することで、そのような間違いを犯す主体として、自己の存在を発見することになる。したがって、自分の間違いに気付くことができない人間には、自我は存在しない。ゆえに、普通の英語の話者には、自己意識が欠けていると言える。

このような議論こそ、パースが天才と呼ばれる所以である。カントにかぶれているために、彼の議論には分かりにくいところも多い。だが、そこを差し引いて読めば、彼の思想の神髄が無我であることが分かる。西洋的な哲学の伝統にまみれながら、これほどの思想的な完成を見せた人物は、彼の他にはいないと思う。パースにはどこか、仏教と相通じるところがある。

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