ウイルスの弱毒化

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ウイルスの大きさは大体100nmで、人間の約一千万分の一である。地球の大きさは大体10,000kmで、人間の約一千万倍である。つまり、ウイルスにとっての人間は、人間にとっての地球のようなものである。

ウイルスは人間の中で生活し、繁殖する。それが人体に有害な作用を及ぼし、結果として人間を殺してしまうことがある。それは、人間が環境を破壊し続けた結果、地球に住めなくなってしまうのと同様である。

地球が破壊されれば、地球に住んでいる人間も共に滅びるしかない。それと同じく、人間が死ねば、人間の中で生きていたウイルスも死ぬことになる。環境を破壊し続けた結果、自滅することになるのである。

人間はいまだにその馬鹿馬鹿しさに気づかないが、ウイルスがそれに気づかないとは限らない。

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人間はホモ・サピエンスという種であるが、現生人類以外にもホモ属は存在した。ネアンデルタール人や北京原人など、昔は様々な人類が生きていたが、最後まで生き残ったのはホモ・サピエンスだけである。このように、複数の近縁種が同一の地域に生活している場合、一つの種だけが生き残り、ほかの種はすべて淘汰されてしまう、ということが時々起きる。

ウイルスの場合にも、複数の近縁種が存在する場合、その中で淘汰が行われると考えられる。進化論によれば、環境にもっとも適応した個体が、ほかの個体よりも多くの子孫を残し、進化の原動力となる。

ウイルスは人体の内部で生活するのだから、人間こそが、彼らが適応すべき環境であることになる。人体によりよく適応したウイルスが、より多くの子孫を残し、他種族との競争に勝利するだろう。

ここで、人間を殺さずに生かし続けるウイルスのほうが、繁殖の機会がより多く得られることに注意するべきである。たとえば、エボラ出血熱のような致死率の高いウイルスは、人間の恐怖心を強く刺激するので、免疫系だけでなく、人間社会からも攻撃の対象とされ、撲滅されてしまう危険性がある。一方でインフルエンザウイルスのような、毒性がそれほど高くないウイルスは、人間社会と共存関係にあると言える。

つまり、新型コロナウイルスの弱毒化が進み、人体への害が少ない種が生まれれば、それは人間社会に速やかに広がり、ほかの種を駆逐すると考えられる。

おそらくこれが、唯一の出口戦略である。ウイルスの弱毒化を進め、それを世界中に広めること。その具体的な方法を考えなければならない。

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単純に考えれば、人間を死の淵に追いやるようなウイルスは、淘汰されるべきである。ゆえに、このウイルスのせいで死にそうになっている人間を、わざわざ助ける必要はない、ということになる。彼が生き残れば、毒性の強いウイルスが社会に広まることになるからである。

もちろん、これはあまりに非人道的な考えであり、ある意味では優生思想に近いとすら言える。しかし、これも一面の真理であることは認識しなければならない。

また、この仮説が成り立つためには、ここで述べた新型ウイルスの変異種が互いに排他的であり、共存しえないものであることを証明しなければならない。つまり、これらのウイルスが同一のニッチを奪い合っていることの証明である。そのためには、人間の免疫系とウイルスの変異との関係について考察する必要がある。

同一の抗体によって排除されうるウイルスの変種は、まだ感染していない個体からも締め出しを食らうと考えられる。これが、ニッチの奪い合いに相当するのではないか。抗体反応に関する私の知識からは、これ以上議論を深めることはできない。興味のある人は考えてみてほしい。

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