女人成仏

仏教は男尊女卑だと言う人がいるが、それは当たらない。女人の成仏が難しいと言われるのには理由があり、とくに女性を卑しんでいるわけではない。卑しいといえば男性女性に限らず仏以外はすべて卑しいのであって、天上天下唯我独尊というのが仏教の本質である。つまり唯仏独尊である。

むかし白隠慧鶴という禅僧がいた。この人は子供の頃に和尚さんの話を聞き、出家を志したと言われている。どんな話を聞いたかというと、地獄の話である。生々しい地獄の話に怖れをなした少年は、仏道を求める決心をしたという。

だいたい、このように自分の人生を決めることができるのは男である。自分の目で見たこともない地獄の話を聞いて、厭い怖れる心を生じ、人生を決めてしまう。女はこういうとき、地獄なんてあるわけないでしょう、という態度をとる。そんな話に本気になって馬鹿じゃないの、ということである。こういう態度では、出家を志すことはありえない。ゆえに、女は菩提心を起こすことが難しく、成仏が難しいと言われる。

女は、自分の目の前にあるものしか見ない。つねに現実的であり、現世にとらわれている。そのため、いまだ自分が見たことのないものを、話を聞くだけで信じることができない。だから仏の教えを信じることができず、その価値を理解することができない。なぜならば、生まれながらに仏の智恵を理解している者はおらず、仏の智恵は、仏の言葉によってしか学ぶことができないからである。つまり、全ての人間は仏に関して無知である。無知であるがゆえに、その価値をあらかじめ理解することはできない。ただ信じることが必要である。

それが菩提心を起こすということであり、それができるかどうかはその人の性質と縁による。一般的に言って、女には菩提心を起こしにくい性質がある。もちろん不可能というわけではなく、仏在世の時には女性の出家者が沢山おり、悟りを開いた人も多かった。だから女人の成仏が難しいという言葉は、男よりも注意して修行に励め、という訓戒だと理解するべきである。

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