ルーズベルトの罪状

1

ここでは、ルーズベルト大統領の戦争責任について、さらに詳細に追及を行います。

1.1

まず、アメリカ政府が、日米開戦以前に、日本の外務省が使用していた暗号を解読していた、ということを事実として認めます。そうすると問題は、果たしてアメリカ政府は、彼らが入手した情報から、日本軍の奇襲攻撃を予想できたのかどうか、という点にあることになります。

たとえば、真珠湾攻撃決行の一週間前には、日本外務省は駐米大使に向けて、暗号機の破壊を指示していました。また、攻撃の前日に大使館へ送信された対米最後通牒の内容も、アメリカ政府によって即座に解読され、攻撃が始まる前に大統領に報告されていました。

これだけの情報を手に入れておきながら、日本軍の奇襲を予想できなかったのだとしたら、ルーズベルトには、アメリカ軍の総司令官としての能力が欠如していた、と言わざるをえません。この点に関して、アメリカ国民は彼の戦争責任を追及しなければなりません。

さらに、攻撃を受けた後で、ルーズベルトが現地の司令官を解任したことも問題です。奇襲成功の責任はルーズベルト一人が負うべきものであり、現地の司令官に責任はありません。この件は、最高司令官であるルーズベルトが、自分の失敗の責任を部下に押し付けたものと考えられます。これは、指揮官としてあるまじき行いです。

このような恥ずべき行為を、アメリカ国民のみならず、アメリカ軍までもが不問に付しているということは、アメリカという国家そのものの信頼を傷つけるものであると言えます。

1.2

さて、ここまでは、ルーズベルトの司令官としての能力の欠如を問題にして、彼の戦争責任を追及してきました。しかし、以上の議論は不当なものだったかもしれません。というのも、ルーズベルトには軍隊の司令官としての能力が十分に備わっていた、という可能性も考えられるからです。つまり彼は、日本軍の奇襲攻撃の可能性を十分に認識していながら、あえてそれを成功させた、という見方をとることもできます。

では、この場合、ルーズベルトにはいかなる責任があったと言えるのでしょうか。それとも、何の責任もなかったのでしょうか。

はっきり言って、この場合でも、司令官としての彼の責任は全く減ぜられません。軍隊の司令官とは、指揮下にある兵隊の命を預かる存在です。彼は、彼の指揮下にあるすべての将兵の生命に対して、責任を負っています。本来ならば避けられたはずの犠牲を、あえて指揮下の将兵に負わせてしまったのだとすれば、指揮官は当然その責めを負わなければなりません。したがってルーズベルトは、奇襲攻撃の成功が確認された時点で、少なくとも最高司令官を解任されるべきでした。

そして、大統領を解任する権限は議会にあることから、大統領の軍に対する背信行為を追及しなかった責任は、アメリカ議会にあると言えます。さらに、議会が民意を反映するものであることから、アメリカ国民全体に、戦争責任があったと言うことができます。

また、この場合でも、現地の司令官に責任を被せようとしたルーズベルトの行為は、同様に咎められるべきです。

1.3

また、もしもルーズベルトが、奇襲攻撃の可能性を予測していて、さらに、それを回避しようとしていたのだとしたら、その場合、ハワイの司令官に対して、また、太平洋上のその他の地域に展開する部隊に対して、緊急性のある指示を全く行わなかったことには説明がつきません。

彼は、奇襲攻撃の可能性を察知していなかったか、あるいは、察知した上で、自軍の損害を回避する行動をとらなかったか、どちらかの場合しか考えられません。そして、どちらの場合でも、彼の最高司令官としての資質と責任が問われなければなりません。

1.4

また、次のように考えるアメリカ人がいることも、私は知っています。ルーズベルトはたしかに、わざと日本軍の攻撃を成功させた。しかしそれは、悪の帝国である日本を滅ぼすために始めた戦争であり、それゆえに、彼の背信行為は咎められるべきではない、と。

この考え方を採用する場合、真珠湾攻撃が開始される以前に、ルーズベルトは日本との開戦を決定していたことになります。それならば、なぜ彼は、その決断を国民に公表しなかったのでしょうか。それが、アメリカ国民が命がけで戦争をする十分な理由になる、と彼が判断していたのだとすれば、その考えを国民に公表し、民意を問うべきでした。しかし、彼はその考えを公にせず、戦争が始まって、後戻りができない状態になるまで、隠していたことになります。

これは、軍隊の総司令官としてではなく、国家の指導者としての大統領の、国民に対する背信行為であると言えます。そして、それを知りながら、アメリカ国民は彼を免責しようとしているのです。

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2.1

以上を総括すれば、アメリカ合衆国大統領は、アメリカ国民から、あらゆる事柄に関して責任を免除されている、と結論できます。

戦争に関する判断は、国家にとって最も重大なものです。国家の指導者が、この問題に関して国民を欺いたとすれば、それは国民に対する最大の背信行為と言えます。

しかしアメリカでは、国家と国民に対する最も重い犯罪行為でさえ、大統領の判断ならば、許されるのです。これが独裁国家でないとすれば、何なのでしょうか。

アメリカ合衆国が建国以来追い求めてきた国家の理想像は、ルーズベルトによって汚され、完全に破壊されました。現在のアメリカは、輝かしい民主国家アメリカの残骸でしかありません。そこにあるのは、自らの姿を直視する勇気を失った、単なる独裁国家です。

合衆国大統領は、アメリカにおける独裁者であり、アメリカ国民は彼の奴隷です。アメリカ人の心に、まだ少しでも自由を愛する気持ちが残っているのならば、大統領を弾劾する勇気を持つべきです。

2.2

東条英機は、真珠湾攻撃が成功した直後に、これでルーズベルトは失脚するだろう、と述べました。これは当然の予想で、普通の国家ならば、そうなっていたでしょう。しかし事実は全く逆で、ルーズベルトは国民から熱狂的に支持されました。

東条は、アメリカという国家の異常さを全く理解していませんでした。自分と対等の相手として、アメリカを眺めていたのです。アメリカは無法者の国家である、という根本的な事実を把握できていなかったことが、日本の敗因だったと思います。彼はお人好し過ぎました。

現代の日本人も、彼と同じ間違いを犯していないと言い切れるでしょうか。日本は、政治的には勝利しましたが、軍事的には完敗でした。その事実を忘れるべきではありません。

2.3

フランクリン・ルーズベルトの実家は、アヘン商人をしていました。中国人にアヘンを売って稼いだ金が、彼の政治活動を支えていました。彼が中国政府を積極的に支援したのは、中国人を搾取し続けるためでした。

アメリカ人が親中派と呼ぶのは、中国でうまい汁を吸っている人のことであり、中国人のためを思っている人のことではありません。アメリカ人の言葉の使い方は、常に自己中心的なものであるため、彼らの言葉を解釈する場合、そのことに注意する必要があります。

さらに悪いことには、アメリカ人自身が、自分たちの言葉の偏りを意識していないように見えます。彼らが親中派と呼んでいる人々が、どうしてそう呼ばれているのかという理由と、親中派という言葉が与えるイメージとを、彼ら自身が区別できていないのです。このような、自分たちが使っている言葉に対する意識の低さが、アメリカ外交の幼稚さにつながっているように思われます。

親中派と呼ばれる人々の提言は、中国人民のためになるとは限らず、むしろ中国人の利益を損なうものである場合があります。これは、親日派と呼ばれる人々についても同様です。繰り返しますが、最も悪いことは、彼ら自身がそのことに無頓着であるということです。どんな場合でも自分の利益を最優先するということに、彼らは何のやましさも感じていません。

欧米人の言葉には誠実さが欠けています。彼らの話に耳を傾ける場合、そのことに注意する必要があります。

私がいま本当に危惧していることは、そのようなアメリカ人の言葉遣いが、日本人の間にも広がりつつあるのではないか、ということです。はっきり言っておきますが、我々は欧米人の真似をするべきではありません。堕落した人間に親しめば、自分まで堕落してしまいます。欧米の文化とは距離を置かねばなりません。

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