支那と中国

支那という言葉は仏典に出てくる。震旦や支那が、中国を指す言葉として使われている。つまり、インド人は、中国をシナと呼んでいたわけである。これが大航海時代にヨーロッパに伝わり、英語でチャイナ、イタリア語でチーナと呼ばれるようになった。その後、江戸時代の日本に入国しようとしたイタリア人宣教師が、幕府に捕まり、新井白石の尋問を受けた。新井はその時に、仏典で使われていた「支那」を思い出し、宣教師が使うチーナという言葉に、支那という漢字を当てた。これが日本に定着したわけである。つまり、支那という言葉は、チャイナという言葉と同じものなので、一方はよくて、他方はだめだ、という主張は筋が通らない。

そもそも支那の語源は何かといえば、始皇帝で有名な秦だという。秦という国ができたときに、インドまでその名前が伝わり、インド人は、その地域をシナと呼ぶようになった。それが支那となったわけだから、侮蔑的な意味はないはずである。もちろん、中国人が嫌っている呼び名だから、無理に使う必要はない、という判断も間違いとは言えない。だが、問題はもう少し複雑である。

日本人は昔から、中国を王朝の名前で呼んできた。平安時代には唐と呼び、室町時代には明と呼び、江戸時代には清と呼んだ。では、それらの王朝が興亡盛衰を繰り返す、その土地の名前は何かといえば、まだ名前がなかった。そこに、支那という名前が与えられたのである。つまり、支那は地理的な概念である。一方で、中国という言葉は、清朝末期における漢民族のナショナリズムの高まりの中で作られた言葉であり、政治的・イデオロギー的な意味を帯びている。ゆえに、地理的な概念である支那と、政治的な概念である中国は、全く別の言葉だと言える。

たとえば、歴史的に見れば、台湾は支那ではない。しかし、台湾政府は中国政府を自称している。そこに矛盾はない。なぜならば、支那は地理的な概念であるが、中国は政治的な概念だからである。このように、支那と中国を使い分けることで、中国に関する問題を上手に整理できるようになる。逆に、過去の日本人が使っていた支那という言葉を、機械的に中国に置き換えてしまうことは、非常に危険なことである。そこにはイデオロギー的な偏向が入り込む可能性がある。

とは言っても、日本人が支那という言葉を使わなくなってすでに七十年が経ち、最近の若者には、支那という言葉を目にする機会すらない。それでも支那という言葉を使うべきなのかどうか、私には分からない。

参考文献

『岡田英弘著作集 第四巻』藤原書店

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