核の抑止力再考

核の抑止力という神話が、いまだに説得力を持っているようである。だが、そもそも何らかの兵器が抑止力として働くことはありえない。抑止力となるのは常に、兵器を用いる人間の意志である。

現代社会において、大国間で戦争が起きないのは、誰も得をしないからである。戦争をすることが損であると分かっているから、戦争が起きない。現代人はみな、自分は利己的だと言いたがるし、人間が利己的な行動しかとれないことを、何とかして証明しようと努力する。しかし実際は、みな善人である。善人であるからこそ無駄な戦争を避けようとし、その結果、大国間の戦争が起きなくなっているだけである。

実際に抑止力として働いているのは、核兵器ではなく、それぞれの政府の、相手政府に対する信頼である。相手の判断を信頼しているからこそ、それが攻撃のために使われないことを信じることができる。これが抑止力となっているのであり、核兵器そのものが抑止力として機能するわけではない。

もちろん今でも、民族紛争や中東の紛争は続いているが、それは社会秩序の不足を原因とするものであって、人間の愚かさを証明するものではない。人間は戦争をやめられないほど愚かではない。そのことを、この四分の三世紀の歴史が証明している。それは核兵器のおかげではなく、人間が自分の力で獲得した平和である。


むかし人類は、王が死んだときに、生きた人間を王と共に埋めて、死後のお供をさせようとした。その後、その習慣には意味がないことが分かり、生きた人間の代わりに、埴輪が王と共に埋葬されるようになった。おそらく人々が、核兵器に抑止力としての価値がないことを理解した暁には、核ミサイルの代わりに、大木から切り出された御柱がその役目を果たすことになるだろう。

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