大東亜戦争の真意

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大東亜戦争は、日本の侵略戦争だったと考える向きがある。たとえば、日本軍はビルマを占領し、日本による支配体制を確立しようとした。それが、日本の植民地支配の意図を証明している、という意見がありうるだろう。

しかし、もしも日本軍が、ビルマからイギリス軍を排除した後に、ビルマの防衛態勢を整えなかったとしたら、どうなっただろうか。その場合、イギリス軍が何の抵抗もなくビルマに戻ってきてしまうだろう。つまり、自軍が占領した地域において、その支配体制を確立し、防衛態勢を整えるということは、戦争を遂行するために必要な手続きだと言える。ゆえに、その事実だけをもって、日本に植民地支配を始める意図があった、と断定することはできない。

日本はアジアの解放を目的として大東亜戦争を始めた。それは日本政府の本心であって、偽りではない。明治維新によって近代日本が誕生したとき、アジアはすでに欧米列強の支配下にあった。東南アジアはほとんどすべて植民地とされ、中国も列強の影響下にあった。つまり、日本という国家は、初めから不利な状況に置かれていたのである。

このように、マイナスからスタートしたものを、ゼロに戻すことができれば、相対的にはプラスになる。つまり、アジアから欧米の勢力を取り除き、アジアの独立を達成できれば、それだけで、日本にとっては大きな利益になるはずである。日本の利益を確保するために、わざわざアジアを植民地にする必要はなかった。ゆえに、アジアの解放という日本政府が掲げた目的は、真実であったと考えることができる。また、その目的は、日本側の実際の行動と全く矛盾しない。むしろ、植民地支配が目的であったと考えることで、日本側の行動が説明しにくくなる場合もあるだろう。

では、どうしてあの戦争が、植民地獲得のためだったと考えられているのだろうか。

それは、欧米人の潜在意識が、日本人の上に投影されているからである。欧米人にとって、アジアは植民地支配の対象でしかなかった。だから、日本の戦争行為も、そのためだとしか考えられなかったのである。欧米人の目には、大東亜戦争は侵略戦争と映った。しかし日本人はたしかに、アジアの解放を目指していたのである。

また、アジアの解放ということは、欧米の支配からの解放を意味しており、それ以外の含みはない。したがって、アジアの人々に犠牲を強いることは、必ずしも、アジアの解放という目的と矛盾するものではなかった。日本人と、日本人以外のアジア人の利益は、一致することもあれば、相反することもある。欧米の勢力を駆逐するという点に関しては、両者の利害は一致したが、そのやり方には不満が残ったと言えるだろう。

戦争の性格が以上のようなものだったため、モンゴルやチベットなど、欧米の勢力がほとんど進出していなかった内陸地域においては、日本軍の活動は負の影響しか残さなかったかもしれない。これらの地域が抱える問題の解決は、今後の課題である。大東亜戦争はまだ終わっていない。

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また、ポツダム宣言の読み方にも注意が必要である。

たとえば第十項では、日本人を奴隷化する意図はない、と述べられているが、本当にそういう意図がなかったのだとすれば、それをわざわざ口に出す必要はない。

つまり、アメリカははじめ、日本人を奴隷化する意図をもって戦争を始めたのだろう。しかし、思ったよりも日本人が強かったので、それが不可能であることが分かった。だから、日本人の奴隷化は諦めます、という意味である。

このように解釈しないと、ポツダム宣言は意味が通らない。やたら高圧的なわりに、表現があいまいで意味がとりにくいのは、アメリカ側の態度の変化を隠すための工夫だろう。アメリカは戦争遂行の途中で、目標の達成が不可能なことを悟り、それを取り下げざるをえなくなった。つまり、事実上、アメリカは降伏せざるをえなくなったのである。それがポツダム宣言なのだが、アメリカには謝罪という文化がないので、非常に難解な文章になっている。アメリカ側が折れた、という事実を隠すためのレトリックに満ちている。

たとえば、「日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国竝ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ」という有名な第八項は、それら諸小島がどれを指すのかが決定されていないので、実際には無意味な条文である。このように、ポツダム宣言には具体的な内容が欠けており、アメリカ政府からの和睦の申し入れ以上の意味はない。

では、どうしてこの時になって、アメリカは態度を変えたのだろうか。

それは、ルーズベルトが死んだからである。そのように実現不可能な目標を設定して戦争を始めたのは、ルーズベルトである。当の独裁者が病死したので、副大統領であったトルーマンが次の大統領となった。しかしトルーマンには、日本を侵略するつもりはなかった。

アメリカでは大統領の権限が非常に強いため、大統領の交代にともなって、政府の外交方針がガラッと変わることがある。この場合も同様で、ルーズベルトからトルーマンへと大統領が交代したことによって、アメリカ政府の方針が、日本の侵略から日本との講和へと、百八十度転換したのである。つまり、ルーズベルトの死によって、日本に平和がもたらされたと言える。

適切なたとえではないかもしれないが、もしも、ダンケルクの戦いの最中にヒトラーが死んでいたならば、そこで戦争は終わっていたかもしれない。それに相当する事態が、太平洋戦線では起きていたのである。これを神風と呼ぶべきかどうか、私には分からない。

太平洋戦争は、事実上日本の勝利であった。しかし、名目上はアメリカの勝利にするということで、手打ちとなった。だから、戦後のGHQの占領は、日本人の目には約束違反と映った。日本の降伏は建前であって、実際には休戦協定を結んだだけである。しかし、アメリカ人にはそれが理解できない。彼らは、本当に自分たちが勝ったと思い込んでいた。

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日本人の誇りを守るために、我々は徹底的に抗戦を続けることもできた。しかし、日本政府は終戦を選択した。その理由は、畏くも天皇陛下が、終戦の詔において仰せられたとおりである。このまま争いを続けても、日本人のためにもならないし、また、他の誰のためにもならない。天皇陛下は、世界と日本の平和のために、自ら矛を収めるという決断を下されたのである。まことに尊いご決断であった。

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