軍隊の強さ

1

近代国家の擁する国民軍が強力なのは、兵隊が死を厭わないからである。たとえば、傭兵は金のために戦う。ゆえに、自分の命をかけてまで戦おうとは思わない。だから、国民軍と傭兵部隊が戦えば、必ず国民軍が勝つ。ナポレオン率いるフランス軍が強かったのは、彼らが国民軍であるのに対して、敵は傭兵部隊だったからである。

近代的な軍人は、祖国のために、あるいは家族や同胞のために戦う。それが自分の命よりも大切だと思うから、命がけで戦う。そういう兵隊は強い。逆に言えば、死ぬのを怖がっているような兵隊は弱い。そのような兵隊で構成された軍隊は、国民軍にはかなわない。

それは武器の問題ではない。どれほど強力な兵器を持っていようと、兵隊が怯えていたら役に立たない。その恐怖が相手に伝われば、その軍は心理的に劣勢に立たされる。戦争は、敵になめられたら終わりである。だから、兵隊が死を恐れているということを、相手に教えてはならない。たとえそれが虚勢であったとしても、我々は死を恐れない、というアピールをしなければならない。

ゆえに、無人攻撃機は最悪の兵器である。

米軍はなぜ無人攻撃機を使うのか。それは、米兵が死を恐れているからである。つまり、現在のアメリカ軍は、本質的に傭兵部隊と変わらない。おそらく、どんな小国と戦っても、今の米軍は負けるだろう。

戦争の勝ち負けを決めるのは、兵器の殺傷能力ではない。どれだけ敵を殺しても、相手の意志を挫くことができなければ、勝つことはできない。そのためには、こちらの弱気を相手に悟られてはならない。戦争の本質はだまし合いである。

しかし、アメリカはそれを理解していない。戦争のやり方に関して、彼らが少しも進歩しないのは、日本が偽りの勝利を与えたからであろう。いちど失敗を成功だと思い込んでしまうと、その後も学習に失敗し続けることになる。日本人はずいぶん罪深いことをした。

2

ルーズベルトは、戦術家としては一流だった。彼の計略は、嘘をつくことだった。巧みに情報を操作することで、この戦いに負ければ祖国が滅びる、と兵隊に思い込ませた。そのため、太平洋戦争においては、米兵は死ぬ気で戦った。兵を死地に追いやることで全力を発揮させるという、いわゆる背水の陣を敷いたのである。イデオロギーの戦争利用に関しては、彼は非常に巧妙だった。

しかし、その後のことを彼は考えていなかった。先の見通しを持たずに戦争を始めるから、いつ止めればいいかが分からない。そもそも、日本が侵略国家だというのは嘘だったから、日本が降伏することはありえない。兵隊の士気を奮い立たせるために、そういう嘘をついたのである。その嘘を国民に悟らせずに戦争を終結させるために、彼の後任者が苦労することになる。

ルーズベルトには、政治家としての資質はなかった。ヒトラーと同じく、彼は道化でしかなかった。

3

日本軍の兵たちは死を厭わなかった。その日本人の性質を完成させたのは、徳川家康だったと思う。遠離穢土・欣求浄土というその旗印は、この世に浄土を打ち立てよう、という彼の決意を示すものだった。

そこにあるのは、一種の宗教的な熱意である。しかしそれは、来世を願うものではない。そうではなく、この現世において極楽を現出しよう、という新社会建設にかける情熱である。日本人にとって、来世とは、この世とは別のところにあるわけではない。この世界こそが、来世なのである。将来の理想のために命をかけるということが、宗教的な意味を帯びているのである。

家康公は浄土を作った。彼の業績は、いくら称賛しても称賛しすぎることはない。太平の江戸の世こそは、我々が見習うべき手本だと思う。

<歴史論集 終>

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