カッコウ

カッコウには、托卵という習性がある。自分とは別の種類の鳥の巣に卵を産み、その巣の親鳥に、代わりに雛を育ててもらうのである。カッコウに托卵された親鳥は、一体どんな気分だろうか。

あれを、親鳥はだまされているんだ、と言う人がいるが、それは違うと思う。たぶん、親鳥は気付いている。気付いているけれども、目の前の雛を見殺しにするわけにはいかないのだろう。卵のうちに気付いたなら、それを壊せばよい。しかし、雛がかえった後には、もう手遅れである。カッコウの雛は、自分がかえると、まず周りの卵を捨ててしまう。巣の中にはカッコウの雛しかいなくなってしまうのである。

つまり、たとえそれがカッコウの雛だということに気付いたとして、親鳥は、それからどうすればいいのだろうか。その雛を見殺しにしたあと、いつもなら子供を育てる季節を、何もしないでぶらぶらしていればよいのだろうか。そんなことに何の意味があるだろうか。

状況は全然違うが、この例はイヨマンテと似ていると思う。自然界に普遍的に見られる、博愛主義の一例ではないだろうか。

あるいはこれを、資源の有効活用と考える人もいるかもしれない。自然界に存在する資源を、最大限有効に活用しようとするメカニズムだ、と。しかし、それは一体何のためなのか。自然界に無駄がないことが、どうして必要なのか。

たぶん惻隠の情というのは、自然の摂理である。それは、それ以上説明することのできないものではなかろうか。

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