平和の利益

1

戦争が続いている状態よりも、平和な状態のほうが、社会全体の利益は増えるはずである。

たとえば、いま、コンゴで内戦が続いている。コンゴには豊富な鉱物資源があり、多国籍資本がその開発を行っている。しかし、鉱物を輸出することで得られる外貨は、すべて武装勢力の手に渡ってしまう。それが、コンゴの混乱の原因である。

だが、コンゴの社会情勢が不安定だと、鉱物の採掘量が安定しないだろう。すると鉱物の値段が安定せず、乱高下することになる。そうすると、その鉱物を利用している企業の方も、計画通りに製品を作れなくなり、損をすることになる。

一方で、コンゴの政治が安定していれば、鉱物の供給量も安定し、結局、企業も計画通りに製品を出荷できることになる。そのほうが、企業の利益も大きくなるだろう。

これを一般化すれば、平和が最大の利益をもたらす、と言えるだろう。もしも、私企業の目的が利益を最大化することなのだとしたら、私企業の目的は世界平和である。

2

コンゴに関して言えば、資源を開発して外貨を得ることは、悪いことではない。それを社会と経済の発展に使うことができれば、一番良いのである。そのために必要なものは政治であり、コンゴ市民に政治を根付かせる必要がある。

その際に大切なことは、政治的なまとまりを作ることではないだろうか。おそらく現在のアフリカの国境は、植民地時代にヨーロッパ人が勝手に引いたものであろう。それを基準にする限り、政治的なまとまりは作れないと思う。

人々の集まりは、共通の言語や文化を持っていることで、形成されやすくなる。したがってアフリカでも、国境にこだわらず、文化的な共通性を持つ集団が結束して、一つの政治単位を作るべきではないだろうか。そのような政治単位が集まることで、更に大きな集団を構成できる。

そのように、その土地の人々が自発的に政治を構築する以外に、アフリカに政治を根付かせる方法はないのではないか。その際、ひとつひとつの政治単位は、国境よりもずっと小さいサイズでよいと思う。そのような、意志が統一された社会集団があったほうが、支援をする方もやりやすいだろう。

すでにある国境にこだわる必要はない。アフリカの発展のためには、国民国家という枠組みを見直す必要がある。そのために、国連の役割も変化すべきだろう。

3

戦争について、もう少し言いたいことがある。

ときどき、自衛のための戦争ということを言う人がいるが、それは馬鹿げている。たとえ自衛のための戦争に勝ったとしても、自国を防衛できるだけで、得られるものは何もない。しかし、戦争とは金が掛かるものである。自衛戦争のために使った金は、誰が払うのか。

もちろん、国民の税金で賄うしかない。だが、それでは国が破産してしまうだろう。だから、自衛のための戦争などはもってのほかで、国を滅ぼすもとである。戦争をするならば、少なくとも侵略戦争でなければならない。戦争で使った金を、相手から分捕ってこれるような戦争を行わなければ、採算が合わないのである。

しかし、先程も述べたように、最大の利益をもたらすものは平和である。したがって、平和を実現するために戦争を行うということは、理にかなっている。戦争は二つの国があるから起きるので、二つの国を一つにまとめてしまえば、戦争は起きなくなり、平和が実現される。そのための戦争が、最も良い戦争だろう。

平和は、あらゆる人間に最大の利益をもたらすものであり、その実現のためには、努力を惜しむべきではない。

3.1

衒学的なことを言うならば、武力は、それ自身を否定するためにある。自分の身を守るためにも、他人の身を守るためにも、武力は必要である。しかし、一たび平和が実現されてしまえば、武力は必要なくなる。だから、武力は、武力が必要ない世界を作るために使われねばならない。自己を否定することによって、それは価値を持つのである。

武力によってしか、平和を実現することはできない。非暴力によって達成される平和は、常に限定的なものである。しかし、自己を肯定する武力は、ただの暴力へと退化する。それは有害無益な存在と成り果てるだろう。

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