アメリカ人の戦争観

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戦争において重要なのは、勢いを味方につけることである。日本がアメリカを相手に長期間戦い続けることができたのは、相手の出鼻をくじいたことが大きい。真珠湾の成功で日本軍に勢いがつき、戦果が拡大した。それを取り返すだけで、アメリカは相当の労力を払わねばならなかった。

当時の日本とアメリカの国力の差は、一対百とも、子供と大人とも形容されるほど大きなものだった。その日本を降伏させるのに、アメリカは足掛け五年もかかったのである。しかも、日本の首都を占領することすらできず、一部の島嶼地域しか占領できなかった。

客観的に見れば、これは大失敗である。しかしアメリカ人は、これを失敗だと認識できていない。それが問題なのである。

もしもアメリカが、真珠湾に先んじて日本に攻撃を仕掛けることができたならば、沖縄を占領するまでの時間はもっと短縮できたであろうし、そのまま東京を占領することも不可能ではなかっただろう。あの戦争をアメリカの勝利だと考える人間には、戦略の知識が欠如していると言わざるをえない。

航空機による爆撃と地上軍による占領とでは、その持つ意味は全く異なる。空爆のみを行って、占領を行わなかったのだとすれば、全ての弾薬が無駄になったのだと言ってもよい。空爆によって相手に与えたダメージは、占領によって確実な成果とされねばならない。アメリカ軍は、すんでのところで勝利を逃したのである。

では、なぜアメリカ軍が、最後まで戦争を遂行せずに日本の降伏を受け入れたのかといえば、既に述べたように、そもそもトルーマンに戦争を続ける動機がなかったからである。はっきり言って、アメリカという国家には戦争を遂行する能力はない。

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そもそも、日本が降伏したのは原子爆弾のせいではない。もちろん間接的な影響はあっただろう。しかし直接には、天皇がやめると言ったから、やめただけである。おそらく、天皇がまだまだ続けると言えば、日本人は戦いを続けただろう。

そこのところが、どうもアメリカ人には分かっていないらしい。戦争の総括が上手くできていないらしいのである。それで彼らは、圧倒的な火力で敵を押しまくれば戦争に勝てる、と思い込んでいるふしがある。

しかし、ベトナムでも朝鮮でも、大量の武器弾薬をつぎ込んで破壊の限りを尽くしたのに、アメリカは負けたのである。少なくとも、勝てなかった。それはなぜかと言えば、火力で押しまくれば勝てる、という基本的な発想が間違っているからなのだが、彼らはそのことに気付いていない。太平洋戦争の成功体験に目が曇らされて、現実を見ることができなくなっているのである。だが、彼らが考えるほど、戦争は単純ではない。

日本人はわりと戦争に慣れているので、自発的に戦争をやめるという判断ができる。あんまり頑張りすぎて損害を大きくするよりは、適当なところで降参したほうがいい、という判断ができるのである。その判断にアメリカは救われたのだが、日本人以外の民族に、そのような判断ができるとは限らない。

アメリカ人の議論にはどうも空想的なところがあって、原爆を落とせばどんな相手にも勝てる、と思い込んでいるふしがある。けれども、それが倫理的に正しいのかどうか、というところで決心がつかない。しかし、そもそも原爆を落とせば勝てると決まっているわけではない。彼らが原爆で勝てたのは、日本が相手だったからであって、他の国が相手の場合にそれで勝てるとは限らない。

戦争というのはゲームではなく、人の命がかかっている。なので、適当なところでやめる、ということも重要である。こういう言い方は卑怯かもしれないが、降参することも一つの戦略なのである。負けたからといって、全てが終わるわけではない。だから、その先のことまで考えて判断しなければならない。

何が言いたいかというと、アメリカ人が世界中で暴虐の限りを尽くしていることの、責任の一端は日本にもある。破壊によって勝利がもたらされる、というアメリカ人の戦争観を作り出してしまったのは、日本との戦争が原因なのである。だから我々は、何とかしてアメリカ人の目を覚まさせてやらねばならない。それが日本の責任である。

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