キリスト教と仏教

1

キリスト教は実在しない。キリスト教という宗教が存在する、という考えそのものが迷信である。

あえて定義しようとすれば、キリスト教徒とは、不合理な考えを信じる人々である、とでも言うしかない。というのも、キリスト教徒とは、何らかの決まった考えや信仰を持つ人々の集まりではないからである。

たとえば、キリスト教徒とは、イエスが神であることを信じる人のことだろうか。そう考えてみると、すぐに例外が見つかる。ユニタリアンはイエスの神性を否定するが、キリスト教の一種だと考えられている。

では、聖書の記述を信じる人がキリスト教徒だろうか、と考えると、キリスト教の信仰は進化論や地質学と両立する、と考える人々に出くわす。しかし聖書の記述から考える限り、天地の創造は数千年前までしか遡れない。つまり、地質学的な地球の年齢は、聖書の記述と明らかに矛盾しているのである。それらが両立すると考える者がキリスト教徒でありうるということは、聖書の記述を信じるかどうかということも、キリスト教の信仰とは無関係であるということになる。

結局のところ、キリスト教徒とは、自分が信じたいものを信じる人々の集まりでしかない。あるいは、自分が信じるものが正しい、と信じる人々の集まりと言ってもいい。その考えが本当に正しいかどうか、ということは、彼らにとってはどうでもよいことである。ただ、自分はそれを信じている、という事実が、彼らにとっては何よりも尊いものと感じられるのである。

キリスト教徒の信仰を支えているのは、何が真実であるかを決定することはできない、という信念である。何が正しいか、ということは人間には知りえないことなのだから、何を信じてもよい、つまり、私が何を信じようと私の勝手だ、という態度が、キリスト教の根幹にある。だから彼らは、人間の意志とは関係なく、客観的に真実が決定されうる、という考え方を、あくまでも排除しようとする。

キリスト教の本質とは、真実の否定である。信仰の否定である。真実が存在する、という考えを否定するところにしか、キリスト教の信仰は成り立たない。この点で、キリスト教と無神論は一致する。無神論はキリスト教の一種である。それは、信仰を持たないという形の信仰である。信仰そのものが極限まで退化した姿である。つまり、キリスト教徒とは、何も信じていない人間のことである。

真実は存在する。それを知る手段も存在する。そう信じることが本当の信仰である。

2

そもそも、何がキリスト教であるのか、という定義がはっきりしていれば、異端と正統をめぐる議論は生じないだろう。キリスト教とは何か、ということをはっきりとは決められないから、何を異端とするか、ということも半ば恣意的に決定されることになる。このことからも、キリスト教には実体がないことが分かる。

仏教においても、これと同様の事態がしばしば見られる。しかしながら、仏教の歴史では、教義の違いが深刻な宗派の対立に至ることは少ないし、それが信者同士の凄惨な殺し合いに発展することは、ほとんどなかった。歴史上最も深刻な宗派の分裂は、小乗と大乗の分裂であったろうと思う。しかし、この時ですら、異端と正統の違いが明確に意識されることはなかった。

それはなぜかと言えば、仏教とは、仏の教えに従うことを意味していたからである。仏とは仏であり、仏以外に仏はいない。仏が仏であることに異議を挟むものは、一人もいなかった。仏の言葉に価値があるのは、それが仏の言葉であるからであり、それ以外の理由はない。

しかし、キリスト教の場合は事情が違う。なぜ我々はイエスの言うことに従わなければならないのか、という根拠がはっきりしていないのである。イエスが預言者だから、彼の言うことに権威があるのだろうか。それとも、イエスが神だから、彼に従わなければならないのか。キリスト教徒がイエスの言葉を尊重すべき根拠が、そもそも判然としていない。そして、もしもイエスが神だとすれば、そのことにどんな意味があるのか、ということに関しても議論が紛糾している。また、イエス自身は自分が神であるとは一言も言っていない。それなのに、イエスが神であると断定すべき根拠がどこにあるのだろうか。はっきり言って、キリスト教には疑問しかない。何を信じればよいのかが、全く明らかになっていない。

それはなぜかと言えば、イエスの言葉が不十分だったからである。イエス自身が、自分の考えを十分に示すことができず、様々な疑問を残したまま死んでしまったからである。もちろん、たとえ彼が長生きしたとしても、彼の教えが完全なものになったとは思えない。そもそも、キリスト教という宗教は不完全なものだったのである。だから、何が異端か正統かということも、明確にすることができない。

仏教の場合、仏陀はほとんどあらゆる疑問に答えを出しているので、疑問の余地がない。もしも、仏の教えに関して疑問を持つものがいるならば、それは彼自身の勉強が足りないせいだ、と言いうるのである。

聖書は短いので、誰でも読み通すことができるし、そらんじることも難しくはないだろう。しかし、仏の言葉を全て学び尽くすということは、並大抵のことではない。もちろんそれは、文章量が多いというだけのことではない。仏の教えは、機に応じ、人に応じて説かれるので、その所説は変幻極まりない。その本質を把握するということが非常に難しいのである。

また、仏陀はことあるごとに口げんかを戒めている。何が本当の仏教であり、何が偽りの仏教であるか、などといった議論にうつつを抜かすこと自体が仏の教えに反している。目に見える宗派の対立は、仏の道の広大さに比べれば無に等しい。そういった自覚を持つ者こそが、よい仏教徒であろう。

3

近頃は、仏教を研究する者の間で、大乗経典は仏説ではない、という説が唱えられている。これについて考えてみたい。

仏典には大きく分けて二種類のものがある。一つは北伝のもので、チベットやネパール、中央アジアを経由して、中国や日本へと伝えられた。いわゆる大乗経典である。もう一つは南伝のもので、南インドからスリランカ、ビルマ、タイへと伝えられた。これは阿含経典、あるいは小乗経典と呼ばれている。大乗経典は仏説ではない、という立場をとる者は、大体、小乗経典が仏陀の真説であると考えているようである。では、彼らの論拠を調べてみよう。

一つ目の論点は、小乗経典の記述と大乗経典の記述は、その様式があまりにも異なるので、同一の作者によるものとは考えられない、ということである。二つ目は、小乗経典の成立年代は大乗経典よりも古いので、小乗経典の方がより仏説に近いと考えられる、ということである。

二つ目の論点から見てゆこう。まず指摘できるのは、成立年代が古いからといって、それが釈迦の真説であるという保証にはならない、ということである。文献学的な研究によれば、大乗経典はだいたい紀元後に成立したものである。一方で小乗経典の中には、紀元前まで年代を遡れるものも少なくない。ゆえに、小乗経典の方が、釈迦の説法をより原型に近い形で残している可能性が高い、ということは言える。しかし、それ以上のことは言えない。紀元前に書かれたものだから百パーセント仏の言葉に違いない、と言うことが許されるのであれば、紀元前に著された書物は全て仏説だということになるだろう。

また、小乗経典はパーリ語で書かれている。しかし、仏陀がパーリ語を使っていたという保証はない。おそらくは別の言葉を使っていただろう。であれば、パーリ語の経典を作ったのは、仏陀以外の人間であることになる。どうしてそれが、仏陀の言葉をそのまま記したものだと言えるのか。

また、小乗経典であっても、その成立は仏陀の在世までは遡れない。ということは、口伝で伝えられた何世紀も前の仏陀の言葉を、仏陀以外の人間が、それをパーリ語に訳してから、文章の形に残したものだ、ということになる。それが本当に仏説そのものだと言えるのか。

次に、小乗経典と大乗経典の記述様式の違い、という一つ目の論点を検討しよう。これらの経典群の表現技法が異なることから、それを記述したのがそれぞれ別の人間である、という推論をすることは許される。しかしそのことは、それが同一人物の言行を記録したものである、という推論を妨げるものではない。一人の人物の言行を、二人以上の異なる人物が記録したならば、その記録者によって、記述の方法や内容が異なるのは当然である。特に、何世紀も前の人物の言葉を、別々の地域や年代に生きた記録者が書き留めたのであれば、その表現が互いにかけ離れたものになるのは自然であろう。ゆえに、その表現が異なるから、両者が同一人物の言行を記録したものではありえない、ということにはならない。

もちろん、ここまでの議論は、大乗経典が仏説であることを証明するものではない。しかし、ここで述べたような証拠をいくら積み重ねても、大乗経典が仏説でないことを証明することもできないだろう。対論者が大乗経典を批判するために用いる論拠は、すべてそのまま、対論者が依拠する経典を批判するために用いることができるのである。したがって、大乗経典は仏説ではない、という批判は有効性を持たない。

また、大乗経典も小乗経典もどちらも仏説ではない、という立場もありうるだろう。そういう人には勝手に言わせておけばよい。

たとえば、仏陀の声を記録した磁気テープが残されていたとしよう。それを再生してみたところで、その内容は誰にも理解できないだろう。仏陀の使っていた言語が、現代の我々に理解できるはずもないからである。

つまり、仏陀の言葉がそのまま残されていたとしても、何の意味もない。どれほど価値のある言葉でも、それを理解することができなければ、意味はないのである。価値があるのは、仏陀が説いた教えの内容であって、言葉そのものではない。その内容さえ正しく伝えることができれば、表現の方法は問題にならない。ゆえに、どれが正しい仏説かという議論は時間の無駄であろう。

聖徳太子も白隠慧鶴も、法華経が仏説であることを疑っていなかった。我々にできるのは、彼らと同じように、それを信じることではなかろうか。現代の学者の傲慢さを前にすれば、魔王波旬も顔を赤らめるだろう。

しかし、注意しなければならない。そもそも、このような学説を唱えたのは誰であったのか。この説を唱道し広めようとしたのは、果たして西洋人ではなかったか。彼らは、我々の仏法への信仰にひびを入れるために、努めてこの学説を流布させようとしたのではないか。これは下衆の勘繰りかもしれない。しかし、用心するべきである。

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