相対論の限界

1

 相対性理論の特徴は、絶対的な運動を定義できることである。
 勘違いされやすいことだが、ニュートン力学の体系の中では、相対的な運動しか定義されていない。そこでは、運動は物体間の相対的な位置変化を意味している。一方で、アインシュタインの相対論では、物体の絶対的な運動が定義されうる。加速度運動は、他の物体とは無関係に、物体それ自身の運動として定義されうるものである。
 ニュートン力学が相対的であるのに対して、相対性理論は、運動に関しては絶対的である。それが可能になるのは、座標系という概念を導入したからである。特殊相対論から一般相対論に至るまで、座標系という概念が相対論を支えている。

2

 ニュートンの桶という思考実験がある。水を入れた桶を回転させると、水面の真ん中が凹むが、それはどうしてか、という問題である。
 これが問題となるのは、ニュートン力学においては、運動は、相対的なものとしてしか定義されていないからである。桶と一緒に回転する水は、桶の壁面に対して相対的に静止していることになる。そうすると、回転する桶と水の系は、静止する系と同一の状態であることになり、パラドックスが生じる。

 しかし相対論においては、座標系という概念のおかげで、このパラドックスは回避される。回転運動する系においては、座標系そのものが回転の影響を受けることになるので、静止する系とは自ずから異なった状態にあることが明らかである。つまり、座標系を考察することによって、加速度運動を、物体間の相対的な運動としてではなく、座標系自体の変化として定義しうるのである。
 ここに、相対論的運動論の特徴がある。ニュートン力学は、すべての運動を相対的なものとして記述する。だからこそ、一つの基準系として、絶対空間というものが必要とされたのである。一方で、相対論は、加速度運動を物体に固有のものとして記述する。いわば、絶対的な運動というものが存在するのである。そして、そのような記述を可能にするのが、座標系という概念であった。

3

 『運動物体の電気力学について』という論文は、アインシュタインが、はじめて特殊相対論の考えを明らかにしたものである。この論文の中で、電車の思考実験が展開されている。その実験では、地上で静止している人と、電車で移動している人の座標系が比較されるのであるが、その比較のために、光時計という概念が活用されている。
 ここで注意しなければならないのは、光時計を実現するためには、少なくとも三つの点が、一つの座標系の上に必要だということである。アインシュタインの思考実験では、観測者と二つの鏡の合計三点が仮定されている。これは、三次元の座標系を指定するための、必要最低限の情報である。

 何が言いたいのかといえば、空間上の単一の点から構成される原子の存在を仮定する場合、そもそも、原子の上の座標系というものが定義されうるのか、ということである。もしも、一つの座標系を構成するために、空間上に三つ以上の異なる点が必要なのだとすれば、原子という単一の点だけでは、座標系を定義するには不十分なのではないだろうか。一つの原子からなる座標系では、原点を定義することはできるが、座標系の向きを決めることができない。三百六十度、どの方向にも軸を回転させることができる。これでは、あまりにも対称性が高すぎるのではないか。
 つまり、原子の上では座標系を定義できない。ゆえに、原子論と相対論は根本的に相容れないものであると考えられる。相対論が成り立つのは、三つ以上の点によって構成される、基本的には剛体においてのみではないだろうか。
 また、ベクトルは二つの点によって構成される。単一の点にベクトルが付随しているという仮説は、納得しがたいものである。ゆえに、電子がベクトルを持つならば、それが単一の点によって構成されていることはありえない。スピンが定義できるのは、大きさを持つ物体においてだけだろう。

 朝永先生は、『スピンはめぐる』という著書の中で、トーマス因子の解説をされている。そこで電子の固有運動が議論されているのだが、それがどうして上手く行くのか、いまだに納得できない。
 いずれにせよ興味深い本なので、ぜひ読んでみてほしい。私は、この本で初めて相対論が理解できた気がした。

<参考>
原子論批判
熱交換について

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