言葉について

言葉というものは、どれだけ厳密に定義したつもりでも、すぐにその定義から滑り落ちてしまうものである。だから、一つの言葉を、ある決まった意味でだけ使おうとしても、上手く行くはずがない。

言葉を定義することはできない。だから、言葉を使うときには、その意味にこだわってはならない。言葉の意味は、それを使うたびに新しく生み出されるものである。全ての言葉には定義がない。

ある時にある言葉を厳密に定義して、あとでその言葉を使えば、いつでもその時の考えを再現することができると考える者は、ただの馬鹿である。言葉はその都度、新しく語りなおされねばならない。ある言葉で表された概念が、あるときには正しいように思われたからといって、次もそうであるという保証はない。また、それが以前の概念と同じであるという保証もない。そもそも、ある言葉が、ある特定の概念と、一時的にであれ結び付いているという考え自体が間違いである。言葉と離れて概念は存在しない。しかし、言葉と概念は同一のものではない。言葉と概念は不一不異である。それは空であり縁起である。

言葉を厳密に定義できるという思い込みから、あらゆる間違った学問、つまり学問もどきが生まれてくる。西洋人が学問と呼んでいるのは、全てこのようなものである。民主主義だの自由主義だの社会主義だの、全ての言葉を知ったかぶりして使っているから、議論がどんどん混乱する。混乱すれば混乱するだけ、自分たちは真理に近づいているという思い込みが強くなるのだから始末に負えない。名前を付ければ分かったつもりになる。分かったつもりで議論を積み重ねて、それが学問になる。そうした学問のことを、学問もどきと言うのである。そもそも、言葉は定義できないという単純な事実に気づいていない。群盲象をなでるという諺そのままである。

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