VI. 仏教と表現

VI. 仏教と表現

社会を変える

社会を変えようと思う必要はない。我々が何もしなくても、それは勝手に変わる。バナナは放っておけば黒くなるし、ジャガイモは放っておけば芽を出す。それは、誰かが手を加えたわけではない。 それと同じように、この世界にあるものはすべて、それ自体の性質として常に変化し続けている。だから、何かを変えようと努力する...
社会
VI. 仏教と表現

復興と経済

1 東日本大震災から九年が経ったが、被災地の復興は遅々として進んでいない。私が思うに、原因は過疎化である。被災した地域の大部分は震災前から過疎化が進み、経済が回らなくなっていた。そこへ震災が起きたせいでさらに人口が減り、これらの地域は回復不可能なほどの打撃を受けている。 だから、被災した地域を元に戻...
社会経済
VI. 仏教と表現

戦争責任と慰霊

1 日本人はもしかすると、加害者と同化することによって、自分が被害者であったことを忘れようとしているのかもしれない。 日本はかつて欧米による侵略の被害者であった、というか被害者になりかけた。結局、戦争によってそれを退けることができたのだが、その被害者としての記憶を忘れるために、自分は加害者だと思い込...
歴史
VI. 仏教と表現

仏教徒は神に祈るべきか

1 日本では神仏習合があたりまえだったので、仏教徒が神に祈ることもそれほど珍しくない。しかし、スリランカから来た坊さんなどには、やはり奇異に思えるらしい。 まず基本的な言い訳から始めれば、日本の神様は仏教の守護神だということになっているので、仏教徒が神に祈りを捧げても問題はない。間接的に仏陀に祈りを...
仏教
VI. 仏教と表現

日本の批評

1 東浩紀は日本的すぎる。彼の哲学は西洋の正統から逸脱している。彼の批評の対象からも、それは読み取れる。 しかし、どうも本人はそのことに気付いていないようである。自身の思想の異常さ、西洋的な立場から見たときの異常さに無自覚であるらしい。彼はラカンや何かについてもっともらしく語るが、思考はすぐにそこか...
思想文化
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仏教と表現

1 仏教では、言語表現を大事にする。もちろん、言語に限らずどんな方法でもよいのだが、自分が手に入れた悟りを言葉で表現する、他者に伝えるということが非常に重視される。 禅の語録などを読んでいると、速やかに言え、という言葉がよく出てくる。それは、悟りを表現してみろ、ということであり、それができて初めて悟...
仏教