世代間の格差

1

いまの日本には、世代間の対立がある、と言う人がいる。たとえば、新型コロナが流行りだしたときに、行動範囲の広い若者がウイルスを拡散しているから、若者は行動を自粛せよ、とやかましく言う人々がいた。

彼らに言わせれば、若者は、自分が病気になるとは思っていない。そのように危機感がないので、むやみに動き回り、ウイルスを広めるのだという。だが、私に言わせれば、若者は病気にかかったほうがいい。健康な若者が病気にかかり、免疫をつけることで、社会の中で免疫を持つ人間が増えることになる。そうすると、社会全体にウイルスに対する抵抗力がつくことになるから、長い目で見れば、病気の予防になるはずである。

若者ははじめ、コロナウイルスを恐れていなかった。おそらく、それは正しい判断である。そもそもこの病気は、若者が恐れるべきものではない。むしろ、彼らが病気を恐れずに活動を続けることによって、経済を維持することもできたはずである。しかし、テレビなどを通じてさんざん恐怖心をあおられたので、みんなウイルスを怖がるようになってしまった。その恐怖心こそが、最大の敵である。

この社会は恐怖に支配されている。それは死への恐怖である。おそらくこれが、高齢化社会の最大の問題である。人間は、死が近づいてくると、それを恐れるようになる。健康な若者よりも、体力のなくなった老人のほうが、生に執着するようになる。彼らは、自分の命を守るためならば何でもする。恐怖に支配されて、合理的な判断ができなくなるのである。

それを助長するのが、医者である。医者は患者の恐怖をあおる。患者が医者を頼るようになればなるほど、彼らの商売は繁盛する。彼らは社会の寄生虫である。

若者は外出したほうがよい。外出の自粛要請に従う必要はない。

2

年を取れば誰でも死ぬのだから、老人は黙って死ねばよい。それができない人間は、まだ十分に成熟しているとは言えない。つまり日本の高齢者は、精神が未熟なまま年を取ってしまったのである。

なぜ、そうなってしまったのか。それは自然にそうなっただけだろうか。老人が生に執着するのは当たり前のことだから、社会の高齢化が進むことで、死を恐れる人が増えた、ということだろうか。本当にそれだけなのか。

ここには確かに、世代間の格差がある。若者は死を恐れない。それは、死が目前に迫っていないから、ということもある。だがそれ以上に、彼らにはやるべきことがある。だから、生きるか死ぬかなどという、くだらない話に付き合っている暇はない。

それは若者の特権ではない。すべての人間がそうあるべきであるし、それは可能なことである。しかし精神の鍛練を怠っていると、自分の体調が悪くなったり、健康に不安が出てきたときに、意気地がなくなって、生きるの死ぬのと騒ぎ出すようになる。ゆえに、ぼんやり生きてきた人間は、年を取ってから恐怖にとらわれるようになる。

すると問題は、現代の高齢者は、どうしてぼんやり生きてきてしまったのか、ということになる。

3

思うに、世代間の対立と言われるものの本質は、欧米化の程度である。あるいは、欧米をどれだけ尊敬しているか、という程度の違いである。ある年齢以上の日本人は、無条件に欧米的な価値を信じている。民主主義とか、市民社会とか、自由とか、そういった欧米的な価値観を、無批判に受け入れている。

しかし若い人々の間には、そこまで欧米を信仰する気持ちはない。むしろ、欧米人が推し進めた価値の相対化によって、欧米的な価値自体の相対化が進み、自由や平等といった言葉を、それほど信用しなくなっている。

ここにあるのは、敗戦後の時間の流れである。日本の敗戦を、実感を持って受け止めた人々は、そのショックを克服するために、欧米への依存を強めてきた。欧米的な価値への帰依が、日本人として生きるための条件だったのである。それが、敗戦後の時間が長くなるにつれて、日本の敗戦ということを、実感を持って受け入れることができない人々が現れてきた。

彼らにとっては、なぜ、リベラルな思想に価値があるのかが分からない。そこに価値を見出さなければならない理由が、理解できないのである。というのも、欧米の知識人たちの言葉は、素直に聞いてみれば、たわごとにしか思えないからである。リベラルな思想には根拠がない。だから、それが信じられない。当たり前のことである。

しかし、敗戦というショックを経験した人々には、深く考える余裕がなかった。茫然自失の状態で、与えられた言葉を信じるしかなかったのである。それは一種の信仰である。だからこそ、信仰を持たない人間には、その価値がわからない。そもそも価値などないのだから。リベラルな知識人たちは、鰯の頭を拝んでいるだけである。それを信じろと言われても、できるはずがない。

4

ここに、日本的な価値観というものがある。簡単に言えば、武士道である。そういうものが過去にはあったし、いまもある。武士道とは、死を恐れないことである。朝に生まれて、夕べには死ぬ覚悟で生きることである。

一方に、欧米的な価値観というものがある。それは、自分の信じたいものだけを信じる、ということである。それが自由であり、つまり現実逃避である。そういう生き方をしていると、精神が軟弱になり、死ぬのを怖がるようになる。だから、日本の高齢者は死を恐れる。彼らが日本的な価値を忘れ、欧米的な価値の中で生きてきたからである。

これが、世代間の格差の本質である。ゆえに、現代の若者は、惰弱な生き方をしないように心掛けねばならない。

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