正義の必要性について

1

最近の世間では、正義は嫌われているようである。いわく、正義を振りかざすことは何も生まない。いわく、相手の罪を許すことが必要である、和解が必要である、と。

しかし、それで得をするのは誰なのか。罪を許すことで得をするのは誰なのか。正義を諦めることで得をするのは誰なのか。

得をするのは悪人だけであろう。正義を振りかざすべきではない、罪を追及するべきではない、そういう考え方が広まることで得をするのは、悪人だけである。正しい生き方をしてきた人間には何の得もない。損をするだけである。

正義は貫かれねばならない。不正を許してはならない。悪を許してはならない。正義を振りかざすべきではない、という言葉に耳を傾けてはならない。我々は正義を振りかざすべきである。悪人には厳罰をもって臨むべきである。一切の不正は許されない、ということを全ての人間に知らしめるべきである。

かつてイギリスは世界中に植民地を作ったが、我々が散々に打ち負かしてやったので、彼らは怖じ気づいて植民地を捨てた。ろくでもないことばかりする連中は、一度痛い目を見せてやって、懲らしめてやらねばならない。

正義を貫くためには死を恐れてはならない。暴力には暴力で報いねばならない。

2

いまのイスラム教徒のやり方は生ぬる過ぎる。あんな散発的なやり方では、何の効果も得られないだろう。できるだけ多くの力を集めて、全ての火力を一箇所に集中しなければならない。そのためにはイスラム世界全体の団結が必要である。

ニューヨークを落とすのは難しくない。アメリカのミサイル防衛はザルなので、ICBMが何発かあれば十分である。その報復でイスラム世界の人口は半分に減るだろうが、それくらいの覚悟がなければ戦争に勝つことはできない。

ただ黙って待っていれば、誰かがなんとかしてくれるだろう。そういう考えは捨てるべきである。自らの権利は自らの力で獲得しなければならない。神を頼ってはならない。己の力を頼るべきである。

いま欧米人は、日本人も彼らと同じ植民地主義者だった、という考えを世界中に広めようとしている。それは自分たちの罪を隠すための偽りである。

むろん、その全てが嘘であるわけではない。我々が貪欲だったのは確かである。だが、そもそもの原因を作ったのが誰であったのか、考えるまでもなく明らかであろう。日本は自衛のために勢力を拡大せざるを得なかった。それを咎めるべきではない。

主人を殺すくらいなら、奴隷のままでいたほうがいい、そう考える人間は一生奴隷のままである。復讐のためでなく、正義のために武器を取らねばならない。己のためでなく、万人のために武器を取らねばならない。正義は必ず勝つ。それを疑ってはならない。

3

一度も罪を犯したことのない者だけが石を投げろ、とイエスは言った。しかし他人の罪を見逃すことは、それ自体が一つの罪である。

もしもあなたがイエスの言葉を実践するならば、この世界には悪人しかいなくなるだろう。どんな罪を犯しても無条件に許されるのだから、これほど悪人にとって住みやすい世界はない。そして今、世界は実際にそうなっている。誰もがみな悪人を許すことに熱心である。

イエスはただの馬鹿である。彼は、自分の言葉が社会にどのような影響を与えるか、ということを全く考えていない。ゆえに彼の言葉を信じるべきではない。彼の言葉を実践するならば、この社会から秩序はなくなる。人間を裁くことができるのは人間だけである。人を裁くことを恐れてはならない。

ムスリムはくだらない遊びばかりやってないで、さっさと始末をつけるべきである。自爆テロのニュースにはみんなうんざりしている。アメリカの破壊、キリスト教の破壊、それがムスリムの使命であろう。確固たる信念さえあれば、この世にできないことはない。

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