上知と下愚は移らず

最近は、自分の考えを変えない人が尊敬されるようである。一度自分が正しいと判断したものは、いつまでも信じ続ける、という人は、周囲の人から見れば、確かに頼もしいかもしれない。一度その人に信頼されれば、それが変わることはないからである。

しかし、社会全体の観点から見れば、それが害を生むこともある。たとえば政治家の場合、そのような態度は、賄賂や職権の濫用と容易に結びつくだろう。


人間は、間違った判断を下すこともある。あるときに正しいと思われたことが、実際に正しいとは限らないし、あるときには正しい判断であったものが、状況が変わっても、正しい判断であり続けるとは限らない。自分が下した判断が誤りであると分かった場合には、それを正さねばならない。すでに間違いだと分かっている考えに、いつまでもこだわり続けるということは、愚か者のすることである。

それが正しいものであれ、間違ったものであれ、自分が下した判断をあくまでも尊重し続ける人間のことを、下愚と言う。上知とは、実際に正しい考えを抱き、そのことを自覚している人間のことである。下愚の考えが移らないのは、何が正しいかを気にしないからである。上知の考えが移らないのは、すでに正しい考えを手に入れているからである。

論語においては、この言葉の前に陽貨の話が出てくる。そのためこれが、ある種の政治家へのあてつけであることが分かる。現代で言えば、下愚の政治家とはポピュリストである。

自説を曲げない政治家は、いつの時代でも一定の支持を得るものである。しかし、真に上知の政治家は、いつの時代も稀である。

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