植民地

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 太平洋戦争は明らかに日本の勝ちである。それをアメリカの勝ちだと思いこんでいる人間が多いのは、日本が降伏したから日本の負けなのだ、と単純に考えているせいだろう。
 たとえば将棋であれば、どちらが勝ったのかはひと目で分かる。王将を取ったほうが勝ちなのだから、これは分かりやすい。しかし囲碁の勝負ならば、どちらが勝ったのか素人目には分からない。勝ち負けの判定をするのにも、専門的な知識が必要なのである。
 実際の戦争は囲碁に近い。どちらが勝ったのかということは、後世の判断を待たなければならない。歴史家が研究を重ねた上で、慎重に判断を下すべき事柄である。降伏したから負けだ、というほど簡単な問題ではない。
 私はいまだかつて、なぜ日本が負けたと言えるのか、という説明を聞いたことがない。日本が負けたことは全ての前提であり、その根拠を問うということを、誰もしてこなかったのではないか。

 我々がそれを日本の負けだと思い込んでいるのは、アメリカが自分たちの勝利を主張しているからでもある。アメリカ人は宣伝がうまいので、あの戦争は彼らの勝ちだということになってしまった。
 しかし日本人にとっては、それでもよかったわけである。日米同盟の片務性は、アメリカの勝利に由来するものである。本来ならば日本が担うべき極東地域の安全保障を、アメリカが肩代わりする形になっているのだから、日本にとっては得でしかない。
 つまり、本当はアメリカは勝っていないのに、彼らが勝ったということにしてしまったので、そのツケを払わされているわけである。これを理解するためには、本当にアメリカが勝っていたならば、日本はどうなっていたのか、ということを考えてみなければならない。
 その場合、日本はアメリカの植民地となり、アメリカの領土とされていたであろう。それならば、アメリカが極東地域の安全保障を担うことも不自然ではなかっただろう。

2

 だがここにはやはり、ある種の違和感が付きまとう。そもそも、日本を植民地にすることにどんな意味があるのか。本当にそれがアメリカの利益になることなのか。いったい、植民地経営には何の意味があるのだろうか。
 基本的に、植民地経営には意味がない。南米や中東、東南アジアを植民地にするよりも、それらの地域を独立国と認めて自由貿易を行うほうが、つまり現在のような国際環境のほうが、よっぽど利益が上がるのである。経済的な利益という点から見れば、植民地はないほうがよい。では、どうして西洋人は、何百年もの間、これらの地域を植民地として統治し続けてきたのか。
 それは神のためである。キリスト教を知らない野蛮人に神の言葉を伝え、文明を伝えるために、彼らは植民地を作ったのである。それは、どんな利益にも勝る神聖な仕事であった。そして太平洋戦争の背後にも、これと全く同じ情熱が隠されていたのである。

 はっきり言って、キリスト教徒は気違いである。彼らの考えることは狂っているとしか言いようがない。植民地時代のヨーロッパやアメリカの人々が、植民地をどのように考えていたかということは、当時の新聞などを見ればよく分かる。様々な歴史資料に、彼らの主張ははっきりと残されている。それは現代の目から見れば異常なものに見える。
 しかし、実際はそうではない。それは、過去のものだから異常なのではない。それが西洋人のものだから、異常なのである。過去においても現在においても、西洋人のものの考え方は全く変わっていない。彼らは今でも気違いである。そして、過去においても現在においても、日本人の考えることはまともである。異常なのはいつでも西洋人のほうである。

 日本の安全保障にとって最も大きな問題は、アメリカである。朝鮮人が核兵器を持とうが大陸間弾道弾を持とうが、日本の安全保障にとっては大した問題ではない。なぜならば、朝鮮人は人間だからである。しかし、アメリカ人が核ミサイルを大量に保有しているということは、本当に問題である。なぜならば、彼らは気違いだからである。
 日本人は、この現実をはっきりと認識しなければならない。信じたくない人もいるかもしれないが、現実を直視しなければ、国際政治を乗り切ることはできない。日本の舵取りを担う人物には、冷静な現状認識が求められるのである。
 本当ならば、あの戦争において、我々はアメリカに引導を渡しておかねばならなかった。彼らを完膚なきまでに叩きのめさなければならなかった。それができずに、あまつさえ核武装までをも許してしまったということは、これは日本の罪である。アジアの雄を自任しておきながら、これほど恥ずかしいことはない。

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