格差社会

1

このまえ川崎で、路上でバスを待っていた小学生と保護者らが、刃物を持った男に襲われ、多数の死傷者が出るという事件があった。

この事件を、弱者を狙った卑劣な犯行と考える人もいるが、それは間違っている。


現代の日本社会では格差が広がっている。収入が高い人は問題ないが、収入が低く日々の生活で精いっぱいの人には、子供を作る余裕などない。

そのため今の日本では、子供がいるということが、一つのステータスになりつつある。そのような状況が、社会不安を招かないわけがない。

つまりこの事件は、弱者を狙った犯行ではなく、社会的な強者を狙ったテロリズムだと考えることができる。なぜならば、子供を殺すということは、その親にダメージを与えることにもなるからである。

そのメッセージを、現在の日本で活動する政治家や知識人たちが、全く理解できていない、ということが問題なのである。

これを、一人の中年男性が小学生を殺害した、という表面的な事実だけで捉えるならば、卑劣な犯行ということしか言えなくなる。しかしそのような考え方は、原因と結果の関係を非常に浅い部分でしか捉えていない。そして、そういった浅薄な考察が、問題の本質を覆い隠してしまう。

おそらくは、それが目的なのだろう。本人がそれを意識しているのかどうかは分からないが、そういった知識人や政治家たちは、格差社会の中で上位の部類に入る人々である。ゆえに、その問題をうやむやにしてしまった方が、彼らにとっては得なのである。

格差そのものが問題ではない、という態度をとることが、格差を固定化することにつながり、それが結局は彼らの利益になっている。無意識にでもそれを理解しているからこそ、彼らには格差の問題が見えなくなる。それで、これは卑劣な犯行だ、としか言えなくなってしまう。

こうした態度の背後にあるのは、因果律に対する誤解である。正しい因果関係は一種類しかない、という誤った考えが、様々な可能性を探ることを妨げてしまう。直接的な因果関係しか見ないことの害は、こういった場面にも現れるのである。

私が言いたいことは、この社会が格差社会でなければ、このような事件は起きなかっただろう、ということだ。しかし、実際には格差社会であるので、こうした事件が起きた。ゆえに、社会の格差がこの事件の原因である。

こんなことは、人に言われなくても分かるはずである。誰が見ても明らかな事実である。これを見て見ぬふりをするということは、許されることではない。

この社会が別の形であれば、この事件は起きなかった。そして、そのような社会を作ることは常に可能である。その努力を怠るならば、それはその人自身の責任である。この事件の責任は、この事件を正しく理解することを拒む人々、そしてそれを踏まえた上で、より良い社会を作る努力を怠る人々にある。

2

格差の原因は経済のグローバル化と、政治がそれに追いついていないことである。経済活動は自由化が進み、資本の移動は流動性を増している。その一方、国家は地域的な性格を持ったままなので、国境を超える資本を国家が制御できなくなっている。

高額所得者や取引額の多い企業から税金を取ろうとしても、彼らは国外に逃げてしまう。だから、政府は大企業や資本家に高い税率をかけられない。そのため、簡単に移動できない一般庶民から、消費税という形で税金を搾り取るしかなくなる。それが格差社会の原因である。


この問題を解決する方法は簡単で、世界政府を作ればよいのである。世界中どこにいても世界政府が税金を取り立てるようになれば、高額所得者から税金を取るのも簡単になる。そうなれば、消費税も必要なくなる。

もちろん、その実現は一筋縄ではいかないだろう。税金の分配をどのように行うか、誰か取り立てを行うかなど、様々な問題を解決しなければならない。また、仮にそういう仕組みができたとしても、五十年持てば大成功で、十年持てばまずまずといったところだろう。

しかし、まずは実行してみなければならない。失敗したらもう一度やり直せばよい。それが必要なことは、きちんと説明すれば理解してもらえるはずである。それ以外に道はないのだから。


世界政府を作るために、カントもヘーゲルも必要ない。民主主義も共産主義も必要ない。必要なのは、税金を取り立てるシステムである。

国籍は必要ない。アイデンティティも必要ない。ノードもエッジもない。情報もネットワークも実在しない。すべて戯論である。

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