グレタ現象

グレタ・トゥーンベリを批判する人は多いが、彼女の主張はだいたい正しい。ただ、彼女がどれだけ自分の発言に責任を持っているのか、という点は疑問と言えば疑問である。それは一種のパフォーマンスに見えなくもない。

問題は、彼女の主張を現実のものとするために、どんな手段が必要とされるのか、ということを、彼女が理解しているかどうか、ということであろう。彼女が批判するような大企業や国家には、人の話に耳を傾ける能力はない。おそらく彼女は、人々の意識を変えることによって、環境保護を実現することは可能である、と考えているのだろうが、実際は不可能である。彼女は人間の愚かさを正しく理解していない。

それら大企業や国家を環境保護に向かわせるためには、言葉だけでは不十分であり、何らかの強制力が必要である。つまり暴力が必要となる。果たして彼女は、人を殺してまで、環境を保護しようという覚悟があるのかどうか、その点が問われねばならない。その覚悟がないのであれば、彼女の行動は、環境保護という目的の邪魔にしかならないだろう。気候変動は人類社会にとって最も大きな危機であり、これを防ぐためには、ある程度の犠牲は覚悟せねばならない。

とくに新型コロナの蔓延は、気候変動と無関係ではありえない。明白な証拠があるわけではないが、これらが全く別の現象だと考えることは、あまりにも能天気に過ぎる。

タイトルとURLをコピーしました