コーランについて

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コーランに書かれていることから解釈する限りでは、神はこの世界の外に存在していることになります。おそらく、神学者の意見もこれと同じでしょう。他方で、ムハンマドは、この世界の中に存在していました。

では、この世界の中にいる者が、この世界の外にいる者と、話をすることは可能でしょうか。もしもそれが可能だとすれば、後者は、この世界の外ではなく、中にいることになります。なぜならば、この世界の外にいるということは、この世界の中にいる者と接触できない、ということを意味しているからです。あるものが、この世界の中にあるものと繋がりを持つならば、そのもの自体、この世界の中にあると言うことができます。

ゆえに、もしも、神がこの世界の外にいるのだとすれば、この世界の中にいるムハンマドには、神の言葉を聞けたはずがありません。つまり、もしも、コーランに書いてあることが真実であり、神はこの世界の外にいるのだとすれば、コーランという書物は存在するはずがありません。しかるに、現にコーランは存在します。ゆえに、コーランに書いてあることは嘘です。ムハンマドは嘘をついたのです。

しかしその嘘は、人々を正しい道へと導くためのものでした。イスラムの信仰は、究極的には間違いです。ですが、社会的な実践としてのイスラムには、非常に大きな価値があります。イスラムは社会に秩序を作り、福祉を充実させ、人々の生活を向上させました。

ムハンマドは確かに嘘をつきましたが、彼の知恵は本物であったと言えるでしょう。

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イスラム教にも、たしかに自己中心的なところがあります。イスラムだけが正しく、それ以外は全て間違いだ、と言わんばかりです。それはそれで問題ですが、客観的に見れば、現代における主要な問題は、欧米のキリスト教徒の側にあると言えます。

キリスト教とイスラム教は兄弟のようなもので、どちらも二元論的な態度をとっています。イスラム教では、世界はイスラムの領土と、それ以外の土地に二分される、と考えます。キリスト教の場合は、キリスト教圏とそれ以外に二分される、と考えています。どちらも幼稚な考えです。

我々は共存を目指すべきであり、そのためには、何が正しく、何が間違っているかを明らかにする必要があります。私に言わせれば、キリスト教もイスラム教もどちらも間違いです。そのような間違った信仰を全て捨てることができれば、それが最もよいと思います。

真理の追究こそが平和をもたらします。そして、真理を知るためには、道理のある言葉には耳を傾けねばなりません。

<現代の諸問題 終>

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