世界最終戦争

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アメリカが戦争を始めるときには、一定のパターンがある。太平洋戦争の場合、真珠湾に攻撃を受けてから、日本に宣戦を布告した。アフガニスタン紛争は、九・一一に対する報復として始まった。アメリカはいつも、一度敵の攻撃を受けてから、それに反撃するという形で戦争を始めている。たしか米墨戦争でも、同じような経緯があったはずである。

おそらくこれは、自分の行為を正当化するために、必要な手続きなのだろう。自分の身を守るために暴力を振るう、という行為は、その正当性が誰にでも理解できるものである。アメリカは、このような自己正当化の手続きを経ないと、戦争を始めることができない。

よって、アメリカに勝つためには、最初の一撃でアメリカを焦土にするのが最も良い。そうすれば、自分を正当化する余裕もなくなり、戦争を始める前にアメリカの敗北は確定する。これが、世界最終戦争という考え方である。

2

一九四一年時点では、日本から直接、アメリカ本土を攻撃する手段がなかった。そのため、空母の行動範囲の限界であるハワイへの奇襲で満足せねばならなかった。これは次善の策であった。

当時の日本がとりえた最善の策は、アメリカ本土を直接攻撃できる技術が開発されるまで、戦争を避ける、というものだった。隠忍自重しつつ国力の涵養に努め、戦争の準備が整い次第、アメリカに総攻撃を仕掛ける。石原莞爾の予想では、だいたい一九七〇年位までには、そのような戦争が可能になるだろうと考えられていた。

具体的には、日本からアメリカまで補給無しで航行可能な新型航空機の開発と、核兵器や細菌兵器などの大量破壊兵器の開発、そしてそれらの量産体制が不可欠であった。これらの条件が揃わない限り、日本の勝利はありえなかった。

というのも、アメリカから日本へ侵攻する場合、太平洋の島嶼伝いに徐々に接近することが可能である。しかし日本からアメリカへは、侵攻する手段がない。アメリカは、国土そのものが難攻不落の要塞だったのである。これを攻略するための技術がなければ、日米戦争に勝つ見込みはない。それが石原の考えだった。

しかしながら、現在においては、そのような欠点は克服されている。核兵器の製造技術は確立され、大陸間弾道弾や巡航ミサイルの技術も存在している。我々は、適切な準備期間さえ設ければ、世界最終戦争を実行可能である。この戦争に比べれば、太平洋戦争はただの小競り合いにすぎない。

3

放射能の影響を過大評価するべきではない。長崎や広島には、戦後すぐに人が住み始めている。おそらく、全面的な核戦争が起きたとしても、人類が滅亡することはありえないだろう。人口は半分くらいに減るかもしれないが、十分に回復可能である。

むしろ、廃墟から立ち直る過程で、戦争の虚しさを実感し、平和な世界を建設する意欲が湧いてくるはずである。その想いは何よりも尊いものであり、それなくして、世界平和の実現は不可能である。

我々は、アメリカを焼け野原にするべきだった。そうすれば、世界はもう少し平和になっていただろう。我々は彼らを、遥かな過去の中に置き去りにしてしまったのかもしれない。


参考文献

石原莞爾『最終戦争論』中央公論新社、二〇〇一年

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