記事紹介8:物理学

私は昔、大学院で量子ホール効果を研究していました。非常に面白い現象で、発見者はノーベル賞をもらっています。しかしこの現象は、いまだ十分に解明されているとは言えません。とくに分数量子ホール効果については、様々な理論が提唱されてはいますが、直感的な理解からは程遠いと思われます。

こういった物性物理に関する理論を勉強していて思うことは、これは天動説に似ている、ということです。ガリレオの時代の天動説は、非常に複雑で精緻なものとなっており、数十個の天球を仮定して惑星の運動を説明していました。それは、たしかに正確な予想を可能にしましたが、なぜそれほどの数の天球が存在するのか、誰にも説明できませんでした。

現在の量子力学も、これと全く同じです。理論は複雑化する一方で、珍妙なパズルを解かされているような気分になります。そして複雑化すればするほど、直感的な理解からは遠ざかります。これはまさに天動説の末期症状です。では、現代における天動説とは何でしょうか。

それは原子論です。私が研究を続ける中で抱いたのは、電子など存在しないのではないか、という直感です。そもそも分数量子ホール効果は、原子論の観点からは説明しにくい現象です。なぜなら、電子の存在を認めてしまうと、電荷の分数化が説明できなくなるからです。ゆえに、電子は存在しない、という観点から考察することで、この現象に対する直感的な理解が得られるのではないでしょうか。

私が提案する連続体仮説は、原子論に代わる世界像を提示します。まだ理論と言えるような段階ではありませんが、進むべき道筋は示したつもりです。


アインシュタインは、光量子の存在を仮定することで、プランクの輻射公式に一つの解釈を与えました。しかし、エネルギー量子の存在は、必ずしも原子の存在を意味するわけではありません。むしろボーアが相補性原理を提出することによって、原子論は完全に否定されることになります。

不思議なことに世間では、相補性原理は、原子の存在を証明するものだと考えられているようです。しかし、原子が粒子と波の二重性を持っているということは、我々が考えるような、物質を構成する微粒子という意味での原子は存在しない、ということを意味しています。つまり、相補性原理が確立されることによって、原子論は既に否定されています。にもかかわらず、エネルギー量子と原子の概念が混同されることによって、原子論はいまだに生き残っています。

私はこの矛盾を解決するために、有限な連続体仮説を提案しました。これは、プランクの輻射公式を、アインシュタインとは別の角度から解釈し直したものです。「原子論批判」第二部の冒頭で、黒体輻射の公式がフーリエ展開の形に変形されています。この形を見て分かることは、空間上の一点における輻射のエネルギー密度は有限でなければならない、ということです。

プランクの公式は、これ以外の何ものをも意味しません。この公式を理解するために、光子やエネルギー量子は不要です。おそらくエネルギー量子は、全く別の形で理論の中に現れることになるでしょう。私はまだ、構成的な仕方でプランクの公式を導出することには成功していません。上記の論文における考察は、全く別の方向に進んでいます。したがって、新しい解釈からこの公式を導くことが可能かどうかは分かりません。


この仮説の肝は、連続体が持ちうるエネルギー量に自然な形で上限を設けることです。その上限は明らかに温度によって決定されますが、そこで、温度をどう解釈すべきか、という厄介な問題が浮上します。分子運動論の立場からは、温度と力学的諸量の間に自然な関係を仮定することが可能となります。しかし、原子論を捨てた我々の立場からは、新しい枠組みの中で、温度の意味を解釈し直すことが必要になります。ですがこれは、物理学そのものを作り直すことを意味します。それは長く険しい道のりになるでしょう。

また、この仮説は、電磁輻射を連続体として扱うことを要求しますが、それと同時に、光の存在そのものに疑問符を付けます。これは、ある意味では当然で、原子の存在を否定するからには、光の原子としての光子の存在をも否定しなければなりません。そうすると、有限な連続体というものが一体何を意味するのか、分からなくなってしまいます。

これ以上の考察は私の能力を超えています。空間・時間の意味をも問い直さなければなりません。私はまだ成功していませんが、必ず成功すると信じています。この研究を引き継ぐ人物が現れることを期待します。


「原子論批判」で提起された問題については「熱交換について」の中で歴史的な観点から考察が加えられます。また、カントの著作は、この問題を考える上で参考になります。彼の物理学について簡単に解説したものが「マッハとカント」です。物質を連続体として考察するという観点は、アリストテレスに始まり、カントがそれを継承したと考えられます。

相対論と原子論の関係については「相対論の限界」で議論しています。この論文の中で、相対論を支える座標系の概念が、原子論と整合性を持たないことが明らかにされます。また、新しい力学の可能性については「粒子によらない物理学」「ロボットと人体」の中で簡単に考察されています。

「原子論批判」の続編として「目的因とは何か」「精神の本質」の二本の論文があります。このHP全体の理論的な基礎となっている論文なので、是非読んでみてください。

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