南京虐殺と便衣兵

1

南京虐殺には、便衣兵の問題が絡んでいたと言われている。

便衣兵とはゲリラのことで、軍服を着ていない人間が、軍隊に攻撃を仕掛けることである。彼らは一般人と同じ格好をしているので、誰が兵隊であるのか、区別ができない。日本軍が南京に入城した際、南京に逃げ込んだ中国兵たちは便衣兵になり、日本軍に攻撃を仕掛けてきた、という意見がある。

しかし、実際はそうではなく、おそらく、負けた中国兵たちが軍服を脱ぎ、逃げ出そうとしていたのだと思う。それか、軍服を脱いだ中国兵が市内に隠れて、日本軍に見逃してもらおうとしていたのだろう。

だが、日本兵の方からすれば、今までさんざん味方を殺してきた敵兵たちが、自分たちが負けたとたんに軍服を脱ぎ捨て、何の責任も取らずに逃げ出そうとしているのだから、許せるはずがない。さらに、街の外に逃げるのであればまだしも、街中に居残っているようでは、どうにもならない。

都市の攻略は、残敵の掃討をもって完了する。というのは、敵が周辺に残っている場合、いつ敵の攻撃を受けるか分からないので、進駐軍は休息をとることもできないからである。周辺一帯から敵を排除して、ようやく一息つけるようになる。つまり、敵を排除するということは、兵士の命を守るために必要なことである。

しかし、中国兵が軍服を着ていないとなると、どれが兵隊なのか見分けがつかない。さらに言えば、何百人からの兵隊が軍服を脱ぎ、街に紛れたのだとすれば、市民がそれに気づかないはずがない。つまり、市民が彼らをかくまっていたと考えざるをえないし、そう思われても仕方がない。

本当ならば、そんな兵隊がいたら、市民がそれを捕まえて拘束し、進駐軍に突き出さなければならない。あるいは少なくとも、町から追い出さねばならない。そうしないと、市内の秩序を保つことはできないだろう。しかし、南京市民にはそれができなかった。だからある意味では、彼らも同罪である。

もちろん、だからと言って、殺していいということにはならない。しかし、この件に関しては、日本側に落ち度があったとは言えない。落ち度があったのはむしろ中国人の方であり、事件は不可抗力に近い。

先に日本兵の命を軽んじたのは中国人の方である。戦場で敵を殺しておいて、その責任もとらずに逃げ出そうとしたのだから、卑怯と言われても仕方がない。だからそのあとで、日本兵も、中国人の命を軽んじるようになった。それが虐殺の真相であろう。

日本兵のしたことは誉められたものではないが、しかし、非難されるべきものでもないと思う。また、中国人の罪は死によって報われているのだから、いまさらどうこう言うことでもない。だから、あの事件はすでに終わったことだと思う。これが私の結論である。

2

私は、日中戦争が侵略戦争だったとは思わない。抗日は共産党の作ったプロパガンダであって、彼らの本心は、自分たちが中国を支配することにあった。そのために共産党は、日本軍と蒋介石をぶつけたのであり、日本軍は中国人同士の権力争いに巻き込まれただけであった。

つまり、日本が侵略者と呼ばれるのは、中国からさっさと引き揚げたからである。もしも日本軍が中国に居座っていたら、我々も中国人の一部だとみなされていただろう。日本人は知らず知らずのうちに、中国の覇権争いに参加してしまっていたのである。

中国人には国内・国外という区別がない。中国がすべてであって、この世界は中国そのものである。だから、中国人から見たら、日本人も中国人である。日本人が自分たちのアイデンティティを保とうとしていることは、彼らには理解できないだろう。中国人にはそもそも、国家という観念が欠如している。

むしろ、日本人が中国から引き揚げたことで、よそ者である日本人に対して、中国人というアイデンティティがはじめて生まれたのかもしれない。つまり、あの時にはまだ、中国人というアイデンティティが確立していなかったのである。中国という国家が存在しないときに、それを侵略することなどできるはずがない。そうではなく、日本人が中国を作ったのだ。

結局、あの戦争を侵略戦争と呼ぶのは、共産党のプロパガンダに協力することになる。共産党政権を存続させるためには、それも良いのかもしれないが、それが事実だと考えるべきではない。実際のところはもっと複雑である。

むしろ我々は、あの戦争を侵略戦争と呼ぶことによって、中国人のアイデンティティを支え、それが結局は、中国国内の少数民族の弾圧につながっているのかもしれない。中国人は、中国は漢民族の国家でなければならないと考えている。だから、少数民族を漢民族に同化しようとしている。しかしこれは、我々がかつて韓国において実行した政策に酷似している。

中国は日本の鏡像である。中国人のアイデンティティのモデルは日本であり、日本のような単一民族国家になるために、いまだにむなしい努力を続けている。近代的な国民国家の抱える歪みが、様々な民族の悲劇につながっているのではないだろうか。

それはともかく、日中戦争においては、日本側に侵略の意図はなかった。日本人は新しい中国の覇者になりたかったわけではない。我々はその時すでに、中国人の背後にいるアメリカやイギリスを見据えていたのである。

しかし、中国人にそれが理解できるはずもなく、彼らは日本軍を次の覇権候補としか見ていなかった。我々の側からすれば、あの戦争は徹頭徹尾すれ違いだったのである。

3

石原莞爾が中国との和解策として提案していたのは、ハル・ノートとほぼ同じ内容だった。日本は、中国から軍を引き上げ、中国における権益をすべて手放す代わりに、中国政府に満洲国の独立を認めさせる。この条件で、日中戦争を停戦に導こうとしていた。日本がこの案を提示すれば、アメリカもイギリスも納得せざるを得なかっただろう。彼は、日本の中国侵略には大義がなく、それが、英米に付け入る隙を与えかねないことを理解していた。

正義を失えば、その人の立場は弱まってしまう。相手に非難されても、何も言い返せなくなってしまうからである。逆に、その人の行動が正義にかなっていれば、誰にも非難される心配はない。国際政治の舞台において、これは非常に重要な原則である。日本の中国侵略は、そこに全く正当性が見出だせないという理由で、戦略的には誤りであった。

石原は帝国主義者ではなかった。共産主義とはまた違った意味での、反帝国主義者であった。

4

近代以前の時代には、中華文明の力は、西洋文明よりも遥かに大きかった。それが十八、九世紀になると、西洋の力が中国を圧倒し、中国への侵略が始まることになる。どうしてこのように、東西の力関係が逆転してしまったのだろうか。

私の考えでは、原因はアヘンである。イギリスの商人が持ち込んだアヘンによって、中華文明は完全に破壊されてしまった。つまり、東西文明の格差は、人為的に作り出されたものである。

もちろん、これは一つの仮説であり、もしかすると検証は不可能かもしれない。しかし、麻薬には確かに、一つの国を滅ぼすだけの力がある。そういう考え方もできるということを、心に留めておきたい。

5

中国の経営は、日本人がやったほうが上手く行くと思う。日本が中国を占領していれば、二十世紀の後半には、中国はアメリカを凌ぐ超大国になっていただろう。しかしそれは、日本人には何の利益ももたらさなかっただろう。

結局、中国のことは、中国人に任せたほうがよい。日本は中国の政治に深入りせず、中国において安定した政権が続くように、わずかに力添えをする程度でよいのではないか。多くの日本人にとっては、正しい歴史認識よりも、平和のほうが大事である。

仏教では、二種類の真理が存在すると説く。勝義の真理、つまり究極的な真理と、世俗の真理である。今の日本語で言えば、本音と建前に相当する。本当の真実は我々の方で把握しておいて、中国人には侵略史観を信じ込ませておくべきではないか。そのほうが中国は安定し、コントロールしやすいかもしれない。

6

本音と建前と言うと、建前の方にばかり注目して、人をだますための手段だと考える向きがある。だが、日本文化の特徴はむしろ本音の方にあるのではないか。本音という概念を持っている文化は、日本の他には無いように思う。

日本人の場合、本音は平和であり、侵略は建前である。一方で、中国人にとっては、平和も侵略もどちらも建前である。中国人には本音というものがない。西洋人の場合、平和は建前で、本音は侵略だと思い込んでいる。

西洋では、欲望というものが人間の本心だと考えられている。しかし、仏陀が明らかにしたように、欲望はかりそめのものにすぎない。仏陀の薫陶を受けた我々日本人にとって、欲望は人間の本質ではありえないのである。

建前を建前と認識することは、本音を理解するための第一歩である。欲望は人間の建前にすぎない、ということが理解できるかどうか、そこに大きなギャップがある。

7

本音は事実に対応する。嘘偽りのないことを本音という。

本音という概念を成り立たせているのは、事実を重んじるという態度である。現実と一致する言葉が正しい言葉であり、現実に反する言葉が偽りの言葉である。事実を軽視する態度からは、本音という概念は生まれない。

事実よりも言葉を重んじるという点で、西洋人と中国人は似通っている。

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