オリエント急行殺人事件

先日テレビで『オリエント急行殺人事件』を見た。ハリウッドスター揃い踏みの豪華な映画で、映像は迫力があった。原作は一度読んだことがあるのだが、内容を忘れていたので、純粋に映画を楽しむことができた。そして見終わったあとで、どうして内容を忘れていたのか理解した。つまらなかったからである。容疑者全員が犯人というのは、あまりにひどい。まじめに推理をした人の身にもなってほしい。だから私はアガサ・クリスティーが嫌いで、推理小説はシャーロック・ホームズが一番だと思っている。

それはさておき、私が気になったのは、事件の結末である。この話はリンドバーグ愛児誘拐事件に着想を得たものであり、ある事件によって深い悲しみを負った人々が、犯人に復讐するという筋書きである。物語の最後で名探偵ポワロがその事実を明らかにするのだが、彼は警察当局に真相を隠し、加害者は全員無罪放免ということで決着がつけられている。これはちょっとどうかと思う。


江戸時代の日本であれば、仇討ちは切腹である。親しい者を殺された仇を討つことは、人倫を保とうとする行為であり、評価されるべきである。しかし公儀によらずに人を殺すことは、社会秩序を乱すことになるので、処分が必要である。そこで、死刑ではなく切腹が妥当となる。死刑の場合、死者の名誉は奪われるが、切腹の場合、死者の名誉は保証される。つまり切腹は名誉ある死刑であり、これによって社会正義と人倫の両立が可能となった。

たとえば忠臣蔵の赤穂浪士たちは、主君の仇を討った忠義心が評価され、死罪ではなく切腹となった。また勝海舟は、戊辰戦争のとき新政府に逆らった榎本武揚について、赤穂浪士同様に切腹が妥当だと主張している。徳川幕府の仇を討とうとした榎本の忠誠心は立派だが、新政府に歯向かい社会秩序を乱した罪は問われねばならない。ゆえに切腹が妥当だ、という判断である。しかし実際は、榎本は何の処分も受けず、そのまま新政府の官僚になってしまった。明治政府はポアロの判断を支持したのである。近代国家は社会正義よりも、人倫を重んじる傾向があると言える。

ポアロは善と悪の間で揺れ動いていたようだが、もっと柔軟な判断があってもよいのではないか。日本の物語では、仇討ちを果たした下手人は自殺と相場が決まっている。たぶんそれは、社会秩序が確立された江戸時代以降の話だと思う。

タイトルとURLをコピーしました