戦場ジャーナリスト

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戦場ジャーナリストが、外国の武装勢力に捕まって、日本政府が身代金を要求される、という事件がときどき起きる。

そういうとき、日本の世論には、捕まったジャーナリストを非難するような傾向がある。それは自己責任だ、という声も聞かれる。いったい日本人は、そのジャーナリストに対して何を求めているのだろうか。そのような状況で、責任を取るとはどういうことだろうか。

それはもちろん、自決である。生きて虜囚の辱めを受けるくらいなら、潔く自決しろと言っているのである。日本人の間には、いまだに戦陣訓の倫理が生きている。

日本のジャーナリストが戦場へ取材に行くときには、せめて手榴弾くらいは持って行くべきであろう。そして、武装勢力に捕まりそうになったら、自爆しなければならない。そうすれば、国民から非難される心配もなくなるだろう。

戦場は遊び場ではない。その程度の覚悟もなしに戦場へ行くのは、心得違いである。というのが、日本の世論である。これはこれで健全だと思う。

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そもそも日本人は、ジャーナリズムに対してあまり寛容ではない。ジャーナリズムを真面目な仕事だと見なしていないふしがある。

社会派のジャーナリストの中には、政府の嘘を暴くことが自分の仕事だ、と心得ている者がいる。しかし、政府が嘘をつくのであれば、嘘をつかない政府を作ればよい。そうすれば、別にジャーナリズムは必要ない。

ジャーナリズムという仕事は、すべての人間には嘘をつく権利がある、という前提の下に成り立っている。よって、政府にも嘘をつく権利があり、そのこと自体を咎めることはできない。だから、我々がその嘘を暴かねばならない、という理屈になる。

そして、そのような前提の下で生きているので、ジャーナリスト自身が平気で嘘をつく。心にも思っていないことを平気で言う。ジャーナリズムそのものが、公序良俗を乱しているのである。公共の敵である。だから、ジャーナリストの言うことは真に受けず、半分娯楽として享受するくらいが丁度よいのだろう。

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