『狂人日記』について

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中国人は人の肉を食べる。昔の中国の料理本には、人肉の調理方法が載っている。また、中国の市場に人肉が流通していたことを示す資料は、沢山ある。人肉食は、中国の伝統文化である。

他方で、日本人は人間の肉を食べない。それは、あり得べからざることである。だから、太平洋戦争中の激戦地であるレイテ島などで、日本軍の兵士が共食いをしていたという話を聞くと、日本人は非常な衝撃を受ける。しかし、中国人にとっては、そうでもない。彼らには人肉食は普通のことである。

魯迅は日本に留学し、日本語と日本の文化に親しみ、日本的な感性を培った人である。その彼が中国に帰ると、食肉売場では人間の肉が売られていた。この事実に、魯迅は苦悩した。そして、中国での生活を続ける中で、それが本当に間違ったことなのかどうか、彼自身にも分からなくなってしまった。『狂人日記』には、その葛藤が表現されていると考えられる。

中華民国時代の中国では、政治家が人民主権を唱えるかたわら、市場には人肉が流通していた。これほどの矛盾があるだろうか。近代国家と人肉食は、絶対に相容れないものである。魯迅が指摘したかったのは、この問題であろう。

中国においては、人肉食の有無が、近代化の度合いを示すバロメーターになりうるのではないだろうか。たとえば、満洲国における人肉食の事例と、同時期の中国各地の人肉食の事例を調査し、比較してみるのも良いかもしれない。満洲国は日本の傀儡国家だったかもしれないが、少なくとも、人を食わない国家ではあった。魯迅が希求した新中国は、日本人の手によって建設されたのである。

中国人はいまだに『狂人日記』を、階級闘争や、古い儒教的な価値観の批判、という観点からしか受容できていない。彼らは今こそ、食人の問題と向き合うべきである。

2

中国が世界のリーダーになろうとしているときに、まだ人を食っているようでは困る。中国人自身がこの問題について調査し、国際社会に向けて報告を行うべきである。我々は、中国社会の実態を知らねばならない。

最近の話では、たとえば、一人っ子政策で要らなくなった子供はどうしたのか。文化大革命で死んだ人たちはどうなったのか。まず、そういったことを明らかにして、さらに、現在の状況はどうなのか、今後どういう対策が必要なのか、ということまで議論できるようになってもらいたい。

また、我々日本人や、中国以外の国の人々は、中国人のこの種の振る舞いを、あまり厳しく非難するべきではない。むしろ、公的な場で、この問題をきちんと議論できるような環境を整える、ということに努めなければならない。頭ごなしに非難したり、あるいは事実を否定したりするだけでは、問題を解決することはできない。

中国人はいまだに、食人の問題を解決できていない。我々は、彼らがそれを克服できるように、手助けをしてやらねばならない。また、それが中国の伝統だからという理由で、安易に人肉食を認めるべきでもない。文化の多様性は、無制限に認められるものではない。国際社会において、それは許されないことである。

<東アジアの歴史と未来 終>

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