法治主義

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法治主義とは、暴力による支配である。法を破った者を暴力によって処罰することで、法の下での秩序が保たれる。対外的にはこれが、覇権主義の形をとる。国際問題を解決するために暴力を用いるということは、結局、国内における法治主義を対外関係にまで延長したものに他ならない。法治国家にとって、戦争は内政の延長である。法の支配が正当化される限り、戦争そのものを否定することはできない。

つまり、法治主義こそが戦争の原因である。この世界に法治国家が存在する限り、戦争がなくなることはないだろう。

また、法の支配とは、神による支配を意味している。神の支配を地上において実現するための手段が、法の支配である。そして、西洋人の信じている神が暴力を好むので、法治国家は暴力的なものにならざるをえない。野蛮な思想である。

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政治とは結局、分業の一種にすぎない。人間が社会生活を営む上で発生する様々な利害対立の調整を、一部の人間が肩代わりすることによって、他の人々が自分の仕事に専念できるようにすることである。それは、為政者がそれ以外の人々を支配する、ということを意味するわけではない。

アリストテレスは政治を棟梁的な仕事と呼び、政治学の中に支配・被支配という観点を持ち込んだ。しかし、それは、政治を理解するために必ずしも必要な観点ではない。政治は権力や支配に関するというよりも、むしろ利害の調整に関するものではないだろうか。

私見を述べれば、政治とは修身である。それぞれの人間が、自分の行動を自分で律することができれば、それだけで国は治まる。その場合、社会のルールは特に必要ない。

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また、おそらく、日本の政治を支えている理念は、民主主義ではない。石原莞爾の言葉を用いるならば、それは統制主義と言うべきものである。統制主義とは、自由主義と全体主義の中庸である。

全ての人間が、他人のことを考えずに勝手気ままに振る舞うようになれば、社会の秩序は維持できなくなるだろう。そうなると、個人の自由を保証することはかえって難しくなる。そこで、個人の自由を保証するために、ある程度の社会的な統制を行う必要が出てくる。それによって、単なる自由主義よりも、さらに積極的に個人の自由を引き出すことができるようになる。これが、統制主義という政治理念である。

多分、戦後の日本政治を導いてきた理念は、このようなものだったのではないだろうか。それは純粋な民主主義ではなく、むしろ、それよりも優れていたはずである。

参考文献

横山臣平『秘録石原莞爾』(第七部「新日本の進路建言」)芙蓉書房出版、一九九五年

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