中国語について

1

旧約聖書に、バベルの塔という話がある。

むかし人々は、天まで届く塔を作ろうとした。塔は途中まで出来上がったが、その不遜な行いが神の怒りに触れ、完成する前に壊されてしまった。さらに神は、二度と塔が作れないように、人々が使う言葉を乱した。互いに言葉が通じなくなった人々は、協力することができなくなり、塔を作れなくなってしまった。

さて、実は、世界にはこの問題を解決した民族がいる。解決法は簡単で、言葉が通じないならば、共通の文字を使えばいいのである。同一の文字が同一の意味を表現するようにすれば、言葉が通じなくとも、文字を使って互いに意思を伝えることが可能になる。それが漢字である。

中国人はこのようにして、異なった言葉を話す人々の間で、意思を伝え合う方法を開発した。つまり彼らは、バベルの塔を作る方法を手に入れたのである。秦、漢、隋、唐などの大帝国は、みなバベルの塔である。漢字こそが中国文明の本質であり、それは人類の最も偉大な発明だと言えよう。

しかし、漢字には副作用もある。漢字は、それ自体が独自の論理を持った文字の体系であるため、対応する言語を持たない。つまり、中国語は書き言葉としてのみ存在し、話し言葉としては存在しないのである。それゆえ中国人は、自分が普段話している言葉を表記する手段を持たない。これは、普遍言語としての漢字が持つ必然的な性格である。よって、ある意味で、すべての中国人は文盲である。漢字は、西洋的な意味における言語とは全く異なるものである。

人間の精神生活は、言葉を使用することで豊かになる。そして言葉とは、話し言葉と書き言葉が相互作用することによって発達してゆくものである。ゆえに、言葉と文字とが乖離した中国人の精神生活は、高度なものにはなりえないだろう。中国人の感情が未発達であるように見えるのは、これが原因ではないだろうか。彼らは、こまごまとした感情のはたらきを言葉によってとらえることができない。概念としての普遍性を持つ漢字は、個人の感情を表現することには向かないのではないか。

また、中国型の帝国の欠点として、非常に脆弱であるという点が挙げられる。中国の王朝は、ローマ帝国のように法律によって統治されているわけではなく、もっぱら為政者の徳によって維持されている。したがって、その徳が失われたと判断されたとき、王朝は維持できなくなる。たとえば国内で紛争が起きたときに、為政者の対応が適切でなかったならば、帝国は簡単に崩壊するだろう。中国製のバベルの塔は、ジェンガのようにもろい。そして一度崩壊すると、中国大陸のみならず、周辺地域にまで大きな影響を及ぼす。

いわゆる倭国の大乱は、漢帝国の崩壊によって引き起こされたものだし、白村江の敗戦は唐帝国の成立に付随するものである。日本の政治は昔から、中国の巨大な力に翻弄されてきた。それゆえ、中国の影響力を排除して、日本国内の秩序を維持するために、我々は古くから鎖国政策をとってきたのである。

日本の建国とは、中国からの独立であった。日本が建国してから明治維新まで、天皇と中国皇帝の間には、一度も正式な国交が結ばれていないのである。それは偶然ではありえず、中国との断交が日本の国是だったことを意味している。

しかし、この百五十年以来、日本と中国との結びつきはますます強まりつつある。我々はもはや鎖国を続けることはできず、中国との新しい関係を模索してゆかねばならない。

2

中国と対等に渡り合うためには、我々日本人も漢字を使いこなせるようになる必要がある。日本人は、漢字を表音文字として使っている。しかしそれは、漢字本来の表意文字としての使い方とは全く異なるものである。

私自身、漢文を読むときは、日本語を読むときとは全く別の頭の使い方をしているという自覚がある。日本語の文章はまず音として認識されるが、漢文はそうではない。漢字を見ると、そのイメージが直接頭の中に広がるような感覚である。表意文字としての漢字を使いこなすためには、特別の訓練が必要である。日本でも、そのような教育を始めるべきではないだろうか。

今のままでは、日本は中国にコントロールされてしまうかもしれない。そうではなく、逆に日本が中国をコントロールするためには、漢字を使いこなせる優秀な人材を大量に確保する必要がある。漢字を使って自分の考えを自由に表現できるようになるということは、おそらく、数学者になるよりも難しいことである。

さらに欲を言えば、日本人が新しい中国語を作るべきである。現在の中国語は、わりと最近になって作られたものである。簡単に言えば、マルクスや毛沢東の思想を表現するために作られた言葉であり、それらの思想を表現するのに最適になっている。このような言葉を使い続ける限り、中国人のものの考え方は変わらないだろう。つまり、彼らのものの考え方を変えるためには、彼らの使う言葉を変える必要がある。中国人の使う言葉を日本人がコントロールするということ。それは、日本が中国を征服するということである。

中国の主権者は漢字であって、人間ではない。そのことをよく理解せねばならない。

参考文献

『岡田英弘著作集 全八巻』藤原書店、二〇一三~二〇一六年

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