宗教と歴史

1

文化の違いが相互理解を阻むということは、よくあることである。日本人の場合、戦争の巧みさで他の人々を評価するところがある。このあたりが、宗教的な人間には理解しにくいらしい。

キリスト教やイスラム教では、戦争や暴力を軽蔑するところがあって、そういう話をあまり好まない。ペルシャ人などは、昔はキュロス大王とかダレイオスとか、戦の上手い人がいっぱいいたはずなのだが、今はそういう話をしたがらないようである。多分イスラム教の影響だろう。

日本人がアメリカ人をどうしても尊敬できないのは、戦争が下手だからだと思う。日本的な感覚からすれば、真珠湾で一撃を食らった時点で、降参してもよさそうなものである。相手に攻撃されてから、怒り出して滅茶苦茶にやり返すというのは、まるで子供の喧嘩である。子どもを相手に喧嘩を始めても、何の得もない。随分まずい戦争をしたものだと思う。

2

仏教は、イスラム教やキリスト教と比較されがちであるが、出自が全く違う。キリスト教などの一神教は、インドで言えばバラモン教に近い。暴力を忌避するという点でも似ていると思う。しかし仏陀はバラモンではなく、クシャトリヤの出身である。つまり武人である。この点が、いままで見過ごされてきたように思う。

たとえばスッタニパータには、悪魔ナムチに誘惑された際の「負けて生き延びるよりは、戦って死んだほうがましだ」という勇ましい言葉が記録されている。こういう言葉は、バラモンからは出てこないだろう。仏陀は非殺生を説いたが、戦争そのものを否定したわけではない。このあたりは非常に難しいのだが、そう言っていいと思う。

日本人の宗教は仏教である。しかし仏教は、一神教とはかなり異なる宗教である。そうすると、ある民族の文化というのは、その宗教の影響を強く受けるわけであるから、異なった宗教を持つ人々の間では、当然文化も異なる。西洋人は、戦争を軽蔑することが普遍的な価値観だと思い込んでいるようだが、全くそんなことはない。それは特殊な文化に過ぎない。

日本人にとって、戦争は文化である。なので、相手を理解するときに、その人々がどのような戦争を経験してきたのか、ということを知らねばならないと感じている。それが人を測る尺度になっているのである。おそらく今でもそうである。

3

ヨーロッパにおける世俗的権力と宗教的権威との対立は、古くはインドにおいて、クシャトリヤ階級とバラモン階級の葛藤という形で現れている。クシャトリヤは世俗的な権力者として民衆の上に君臨していたが、バラモン教の教義においては、バラモン階級に絶対的な権威が与えられていた。

ゆえにバラモンの宗教には、彼らのクシャトリヤに対する優越を保証する役割が求められていた。ありていに言えば、クシャトリヤの仕事を貶め、バラモンの仕事を正当化することが必要とされていたのである。これはおそらく、ヨーロッパにおいてキリスト教が果たした役割と同種のものであろう。

そしてキリスト教がそうであるように、バラモン教も、胡乱なまじないや神の言葉に依存した宗教だったのである。仏教は、そういった伝統的な宗教の持つ非合理性を批判するところに、その特徴がある。安易なごまかしや、どうとでも取れるような曖昧な言い回しは否定され、事実を直視する誠実さと、明快な表現が尊重されるのである。


現実の世界には、0と1のどちらかに決まっているものなどほとんどない。たいていの物事は、その中間にある。その割り切れない事実を、そのままに認識するということが、中道である。それを0と1のどちらかに無理やり当てはめようとすることが、極端である。バラモン教やキリスト教は極端の宗教であり、仏教は中道の宗教である。

近代科学は、ヨーロッパにおいて仏教と同じような役割を果たしてきたと言える。しかし、そこにはいまだに非合理性が紛れ込んでいる。たとえば、脳科学における意識の存在や、物理学における原子の存在などは、近代科学に含まれる不合理性の現れであると考えられる。

我々は、これを完成に導かねばならない。近代科学が仏教の代替となりうるように、その基礎から手を加えねばならない。

4

仏教は、インドにおいて忘れ去られたかのように考えられているが、そうではない。たとえば、インドにおいて広く見られる菜食主義は、仏教に起源を持つ可能性がある。仏教は、その名前こそ忘れられてはいるものの、インドの文化に決定的な影響を与えてきたのである。

ヒンドゥー教はおそらく、バラモン教と仏教の混合である。ヒンドゥー教を仏教と独立に発達した宗教だと考えることは、間違いであろう。インドの歴史は仏教の歴史であり、仏教とバラモン教の格闘の歴史である。それはまた、先述したバラモンとクシャトリヤ、宗教的権威と世俗的権力の問題とも深く関係しているはずである。インドは現在においても、本質的に仏教の国である。インドの文化的な環境は、仏教によって決定付けられている。

しかしこれは、これまで現代人がインドについて抱いていたイメージとは、全く異なるものであろう。インドにおける仏教の役割を強調することは、仏教徒の手前みそなのではないか、と思われるかもしれない。

しかし、そもそも我々のインドに対するイメージは、現代のインド人、つまりヒンドゥー教徒によって作られたものである。したがって、彼らの主張を鵜呑みにすることはできない。なぜならば、彼らは、自分たちにとって不都合な事実を隠している可能性があるからである。

ジャーティやヴァルナの歴史に関するヒンドゥー教徒の主張を事実として認めることは、そのままその制度を固定化することにつながりかねない。ゆえに、インド人によって語られるインドの歴史や文化は、すべて嘘だと考えるべきである。なぜならば、彼ら自身がその受益者である可能性を否定できないから。バラモンのやり口は非常に巧妙であり、その欺瞞を明らかにするためには細心の注意が必要である。


インドはまだ解放されていない。我々は、インドを解放し損ねたのである。

ヨーロッパの近代史は、インドの古代史をなぞっているように見える。彼らが獲得した政教分離の原則は、かつてインドのクシャトリヤたちが求めたものに近い。だが、それは釈迦の試みよりも不徹底である。政教分離の枠組みは、かえってバラモン的な宗教を温存することになるのではないか。

バラモンの宗門は一つ残らず粉砕されねばならない。そこに妥協の余地はない。

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