知識人

1

 太平洋戦争という破滅に向かった、日本人の愚かさを書き立てる知識人は多い。彼ら全員に共通しているのは、敵の顔が見えていないことである。彼らは、アメリカについて決して書こうとしない。よく見てみれば、アメリカも日本と同じか、それ以上に愚かな振る舞いをしているのだが、それは彼らの目には入らないのである。
 日本人の病について書こうとする知識人自身が、その同じ病にかかっているようにも思える。だが、戦時中の日本人の愚かさとは、結局のところアメリカ人の愚かさの反映に過ぎない。

 たしかに、多くの日本人には敵の顔が見えていなかった。彼らの敵が何であったのか、分かっていたわけではなかった。その点では現代の知識人も同じである。しかし、全ての日本人がそうであったわけではない。中には、敵の顔を直視した人々もいたのである。
 敵とは無知であり、愚かさである。それは西洋文明そのものであり、キリスト教であり、民主主義であった。

2

 リベラリストの問題点は、人間の平等を無批判に受け入れていることである。彼らは結局、すべての人間は自分と同じだ、と言っているにすぎない。それは単なる無知である。
 たとえば、一人の中国人が、日本人に殺されたとしよう。そうすると他の中国人は、ライバルがいなくなって得をした、と考える。一方で、一人のアメリカ人が日本人に殺されたならば、他のアメリカ人は、日本人を皆殺しにしよう、と考える。
 人間というものは、住んでいる土地や文化が違えば、全く違う生き物になる。リベラルの人々はそうした違いを無視し、日本人と中国人は同じ生き物だ、と考える。しかし、日本と中国は全く別の世界である。その違いを認識しなければならない。

 中国を民主化しよう、などというのは愚かな考えである。昔の日本人は、中国を近代化しようと考えて、最後には戦争になった。つまりリベラルな人々こそが、あの戦争を起こしたのである。我々はその失敗から学ばねばならない。
 民族が違っても、人間の遺伝子には違いがない。しかし、精神は遺伝子によって決まるわけではない。身体は親から受け継がれるものだが、精神は教育によって作られるものである。ゆえに、学問と文化こそが人間の本質である。

3

 欧米から日本に来た外交官やサラリーマンは、何もかもが母国とは正反対だ、と感じるらしい。仮に地球外生命体が見つかったとしても、彼らと我々との違いは、日本人とアメリカ人の違いほど大きくはないだろう。実際のところ、我々は互いに異なる宇宙に暮らしているのである。
 だから、アメリカで上手く行った政策を、日本でそのまま実行しても、上手く行くはずがない。社会そのものが正反対なのだから、アメリカとは真逆のことをして、ようやく上手く行くわけである。

 世界のすべての地域で上手く行くような、普遍的な政治の方法が存在するわけではない。しかしそれぞれの地域において、最適な政治のあり方は存在するはずである。
 たとえば数学において、すべての方程式に共通する、たった一つの解が存在するかといえば、それは存在しない。しかしそれぞれの方程式に、それぞれ異なる解が存在する、という仮定は合理的である。
 つまり、すべての場合に成り立つ普遍的な解が見つからなくても、それぞれの場合において、それぞれ別の答えを見つけることができれば、それで十分なのである。だから、世界中にひとつの政治を押し付けるのではなく、それぞれの地域に合った政治のあり方を探してゆけばよい。それが本当のグローバリズムであろう。

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