復興と経済

1

東日本大震災から九年が経ったが、被災地の復興は遅々として進んでいない。私が思うに、原因は過疎化である。被災した地域の大部分は震災前から過疎化が進み、経済が回らなくなっていた。そこへ震災が起きたせいでさらに人口が減り、これらの地域は回復不可能なほどの打撃を受けている。

だから、被災した地域を元に戻すだけでは、問題を解決することはできない。震災前の姿に戻っても、町は壊れたままである。本当の復興のためには、新しく経済を作り直さねばならない。それがこれからの課題である。

2

ここに現れる問題は、都市と農村の関係を反映したものであり、近代を通じて問題とされてきたものであるが、おそらくその起源は人類の歴史と同じくらい古い。


人間が生きるためには食料が必要である。ゆえに、食料を生産するために農業が必要とされる。しかし、農民も農村の中だけで自給自足ができるわけではない。酒や塩は他から手に入れねばならない。

そこで、様々な生産者の間で商品の交換をするために、商人が必要とされる。商人は様々な土地を渡り歩き、交易品をやり取りするために市を立てる。市が立つ場所や日付が決まると、農民のほうから市場へ出向き、作物を売り、日用品を買うようになる。やがて市が常設されるようになると、都市ができ、そこに多くの人が集まるようになる。そして人が人を呼び、都市はさらに大きくなる。


岡田英弘によれば、人間にとって一番の娯楽は人間である。おそらくこれは、都市の成り立ちに対する最良の説明になりうる。たとえばむかし、砂漠の中で旅をしていた行商人は、オアシスに着くと、ほっとしただろうと思う。オアシスには町があり、人がいる。市場には商人が集まり、それを目当てに芸人も来る。酒場に行けば様々な話し声がして、喧嘩もあればロマンスもあっただろう。そういった光景が旅人の心を潤したはずである。それは、現代風に言えば娯楽ということである。

合理的に考えれば、都市を作らなくても商売をすることはできる。ゆえに、人間が都市を作る理由は合理的なものではありえない。娯楽のため、ということも説明としてはありうるだろう。それは人間の生活にとって欠かせないものであるから。テレビもこれと同じで、テレビに出ている人の中には、現実には関わりたくないような者も多いが、そういう人間でも、はたから見ている分には十分に楽しめるのである。


人は娯楽を求めて都市を作る。互いが互いを娯楽にするために、人は集まる。そうしていったん都市ができてしまうと、都市に集まるのは商人であるから、自然と金も集まるようになる。そうすると、金のある都市と、金のない農村の間に立場の違いが生まれてしまう。いきおい、農村よりも都市の方が立場が強くなってしまうのである。

しかし、都市の生活を支えているのは農村である。都市は何も生産しない。都市で消費されるものは、すべて農村で生産されたものである。また、都市は狭いが、農村は広い。都市というものは、農村という大海原に浮かぶ小島のようなものである。

だが、都市で生活する者にとっては、都市の内部で生活が完結してしまうので、都市の外部を意識することがなくなってしまう。それが進むと、都市の商人たちが農村の事情を顧みず、農村を搾取するという状況が生まれる。そうなると農民の間に不満が溜まり、一揆を起こしたり反乱を起こしたりするようになる。

おそらく、ここに政治の起源がある。政治というものは、都市と農村の矛盾を解消するために存在するのではないだろうか。都市と農村の利害対立を調停し、両方の地域を含めた全体として、経済活動が円滑に行われるように調整することが、政治の役割なのだと思う。


被災地において露わになった問題は、人間にとって最も古い問題であり、かつ、最も政治的な問題である。言い換えれば、被災地を経済的に復興することができるかどうかは、純粋に政治的な問題である。ゆえに、この課題に対する取り組みによって、政治の価値が決定されるだろう。現在までのところ、日本の政治はその機能を完全に停止していると言わざるを得ない。

政治の役割とは、経済を育て、それを維持してゆくことである。そして可能ならば、それを世界中に押し広げてゆくべきである。平和はそこから生まれるだろう。

3

最近の人々は、放射能を何か神秘的なものだと考えたり、それをタブー視したりしているようである。しかし、実際はそれほど特別なものではない。

放射能とは、原子の崩壊のことである。原子は崩壊するときに微小な粒子を放出し、それが放射線と呼ばれる。放射線を出す原子を放射性原子と呼び、放射線を出す能力を放射能と言う。

厳密に言えば、あらゆる原子は放射能を持っている。我々の身体を構成している原子も、いままさに崩壊しつつある。もちろんそれらの原子は、崩壊にかかる時間が非常に長いので、目に見える形で影響は出ない。しかし、それが崩壊しつつあるという点から言えば、すべての原子は放射性原子である。

我々の世界を支えているのは、原子の変化である。太陽の光も原子の変化によって生み出されており、それが地球の生命を支えている。変化によってエネルギーが生まれる。あらゆる原子はいままさに変化しつつあり、それがこの世界を動かしている。

これを仏教では諸行無常という。この世界は変化によって成り立っている、ということである。何のことはない、すべてお釈迦様の言ったとおりである。

だから、放射能と言っても何も特別なことはないので、その性質を見極めて、適切に対処すればよい。対処不可能な問題では全くない。

4

私は子どものころ、家族と牡鹿半島へ行って、はじめて鯨を食べた。新鮮な鯨の刺身はとても旨く、不思議な味がしたものである。博物館にはミンククジラの全身骨格が展示されていて、町全体が鯨のテーマパークのようだった。その後はあまり牡鹿へは行かなかったが、いつかまた行ってみたいと思っていた。

捕鯨なんてしなくてもいい、と言う人は、鯨のためを思っているのではなくて、たぶん鯨に興味がないだけなのだろう。誰も鯨を食べなくなったら、みんな鯨のことなど忘れてしまうのではないか。

街に住んでいる人はそれでいいのだろう。新しいものが沢山あるので、古いものを覚えておく余裕などないのだろう。

私はいまだに、鯨を食べると泣いてしまう。

参考リンク

原子力の安全な利用について

タイトルとURLをコピーしました