韓国人の正義

安重根を調べていて面白いのは、彼の裁判の記録である。彼は日本で裁かれたが、そこで伊藤の罪を数え上げている。伊藤が私利私欲のために韓国を侵略したとか、天皇陛下をだまして日本の政治をゆがめたとか、そういったことを述べ立てたあとで最後に、伊藤さんは孝明天皇を暗殺した、と発言した。これで法廷は大騒ぎである。

もちろん、もしも孝明天皇が暗殺されたのだとしても、そこに伊藤が関わっていたはずはないと思われる。しかし、これは非常にセンシティブな話で、孝明天皇の死に関しては、当時から様々なうわさが囁かれていた。日本ではタブーに近い話題である。

ここには、日韓の文化の違いが如実に表れている。日本人は、孝明天皇の死の真相をあえて明らかにしようとはせず、病死とも毒殺とも断言しないまま、うやむやで済ませていた。その態度が、韓国人からすると野蛮なものに見えた。もしも天皇が暗殺されたのだとすれば、その下手人を許すことはできないし、事件の真相は必ず明らかにしなければならない、というのが彼らの考えである。

一方で日本人は、真相を明らかにした場合と、明らかにしなかった場合で、どちらが得かを考える。そして、たとえ明らかにしたところで、何もいいことがないのであれば、うやむやで済ませよう、ということになる。これが韓国人からすると、日本人には正義がない、という風に見える。それも、ある意味ではもっともな意見である。しかしそういう韓国人の態度は、日本人からすると、青臭い理想主義に見えてしまう。

一般に韓国人や中国人など、大陸の人々は正義に敏感である。彼らは正義を求めるが、その正義とは何かといえば、結局のところ言葉にすぎない。古来より中国の歴史家がやってきたように、自分たちの王朝を正当化するための作文によって、正義が明らかにされるのである。そして、一度正義が確立されてしまえば、それは現実から離れて独り歩きを始める。彼らの正義は非常に危うく、もろいものである。

中国人は漢字の魔力に魅入られ、いまも正義の追求に駆り立てられている。韓国人はその影響を強く受けている。

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