プラグマティズムとは何か

パースは、プラグマティズムの創始者と目されている。だが、彼自身は自分の立場をプラグマティズムと呼び、ジェームズらの哲学運動から区別していた。

現在では、プラグマティズムは価値の相対化や真理の相対化を目指す立場だと考えられている。それぞれの言葉には実用的な価値しかなく、哲学的な用語の実在性を信じるべきではない、というアンチ哲学として理解されていると思う。

アンチ哲学という点はたしかに正しい。それはパースの目指したものでもあった。しかし真理の相対性という観点は、彼には決して受け入れられなかった。

プラグマティズムは、絶対的な真理を探究するための活動である。少なくとも、そのような活動としてパースによって始められたものである。プラグマティズムとプラグマティシズムの違いは、過去の哲学に対する認識にある。それがヨーロッパ哲学の否定であることに違いはない。では、ヨーロッパの哲学とは何であるか。

ジェームズ以下のプラグマティストは、それを真理を探究する試みだと考えた。よって、古い哲学を否定することは、真理の絶対性を否定することである、という結論に至った。一方でパースにとって、それは、真理への道に立ちふさがる障害に見えたのである。ヨーロッパの哲学とは、曖昧な言葉づかいで真理をうやむやにし、それを相対化してしまうことである、と彼は認識した。ゆえにプラグマティズムは、真理の相対性を否定し、絶対的な真理を探究する試みでなければならない。この点に、二つの学問の決定的な違いがあった。

この隔たりはあまりにも大きく、パースとジェームズは最後までお互いを理解することができなかった。そして、現在でもその違いは理解されないまま、ジェームズの思想のみが生き残っている。

パースのプラグマティズムは、ヨーロッパの伝統から隔絶した真に新しい学問的な試みであったが、ジェームズのそれは、ヨーロッパ哲学のバリエーションに過ぎなかった。だからこそ、現在の思想界でも評価され、受け入れられているのである。

誰も本当のプラグマティズムを知らない。私は、ジェームズの思想がプラグマティズムとして紹介されているのを見ると、悲しくなる。人知れず学問に打ち込み、不遇のまま死んでいった人を思い出してしまうからである。

彼は誇り高い人だった。周りに合わせて自分の意見を変えるようなことはしなかった。それを偏屈と呼ぶのは間違っている。それは誠実と言うべきである。彼は、ヨーロッパ世界が持ちえた最高の精神であった。

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