真珠湾の奇跡

1

真珠湾攻撃の直前、不思議な事態が起きていた。太平洋に散らばっていたアメリカ海軍の艦隊がハワイに結集し、多くの艦船が真珠湾に停泊していたのである。そこに日本軍の機動部隊が全力攻撃を仕掛け、米海軍の太平洋における実行力は、ほぼ完全に消滅した。実に不幸な事態であった。

なぜ、そのようなことが起きたのか。原因はいくつか考えられるが、最も大きな要因は、アメリカ側の油断だろう。日本軍が奇襲攻撃を仕掛けるためには、空母を含む機動部隊をハワイまで移動させる必要があった。しかし、日本とハワイの間に補給のできる島はなく、空母の航続距離の限界で作戦を行うしかなかった。

このような危険な作戦行動は、アメリカ軍が決して行わない性質のものである。余裕のない状態で作戦を実行すれば、不慮の事態が起きたときに対処ができず、作戦全体が破綻する可能性がある。ゆえにアメリカ軍は、つねに十分な余裕を確保した上で作戦を実行する。それは非常に合理的な行動方針である。そのため彼らは、敵も自分たちと同じ方針を持っていると思い込んでしまった。その油断を日本軍は衝いたわけである。

もう一つの原因として、真珠湾事件全体が囮であった可能性が指摘されている。アメリカ側は、日本軍の奇襲攻撃を誘うために、わざと全艦隊を真珠湾に集め、囮にしていたという意見である。だが、これに関しては、次のような矛盾点が指摘されている。格好の囮となるはずの空母数隻が、事前にミッドウェーなどの海域に向けて出港しており、事件当時の真珠湾には一隻の空母も停泊していなかったのである。

しかし、これは、ホワイトハウスと現地の司令官の間で、計画が共有されていなかった結果だと解釈することもできる。というのも、もしも司令部が囮作戦を考えていたのであれば、それを現地の司令官に伝えるはずがないからである。そして、空母の出航を決めたのは、現地司令官であった。事件の後で、当時の司令官キンメルとショートが突如解任されたことも、この推測を裏付けるものである。真偽のほどは分からないが、アメリカは他の地域でも、同様の囮作戦を繰り返していたのではないか、と私は考えている。

アメリカ側は、日本が奇襲攻撃を仕掛けてきても上手く行くはずがないし、よし成功したとしても、かすり傷程度の結果しか残せないだろう、と考えていた。だから、不用意な囮作戦を実行してしまったのである。

真珠湾攻撃の結果、アメリカの太平洋艦隊は一時的に姿を消した。その後しばらくして艦隊は再建され、反転攻勢が開始されるが、その間に日本軍は破竹の快進撃を続けていたのである。アメリカはそれを、指をくわえて眺めているしかなかった。

この間の事情を理解するためには、次のような思考実験をしてみるとよい。もしも、アメリカが日本に奇襲攻撃を仕掛けることで戦争が始まっていたならば、どうなっていたか、ということである。その場合、日米の国力差を考慮に入れると、半年も経たないうちに、東京のすぐそばまでアメリカ軍が押し寄せていただろうと想像できる。しかし実際には、真珠湾の失敗のせいで、日本側に大きなリードを許し、沖縄に到達するまで三年半もかかったのである。その間にアメリカはすべての力を使い果たし、日本を目前にして活動を停止してしまった。緒戦の失敗はまことに大きかったと言わねばならない。

2

日本人はときどき、機械の性能以上の力を引き出すことがある。たとえば『大空のサムライ』という本がある。これは零戦パイロットの自伝なのだが、その中に、台湾からニューギニアまで零戦で往復した、などという話が出てくる。これは飛行機の性能からいえば、ありえないことである。零戦の燃料タンクの大きさから計算される航続距離とは、比較にならないほどの長距離を飛んでいる。

また、日本海海戦のときもそうである。日露両艦隊の実力は、船の性能からいえば互角であった。しかし、結果は日本の圧勝である。もちろん用兵の妙ということもあるが、機械の扱いに差があったと考えることもできる。

そして真珠湾である。日本軍は、アメリカ軍が予想もしなかったような、機械の性能ぎりぎりの戦いを見事にやってのけた。

これらの事例から読み取れることは、敵の予想のちょっと上を行くことが重要だ、ということであろう。日本軍は魔法を使ったわけではなく、敵よりも少しだけ無理をしたのである。それが結果として、戦争の明暗を分けることになった。これは確かに精神論である。だが、まず精神で勝たねば、戦争には勝てない。

真珠湾事件は、日米戦争という大きな流れの中の、一つのエピソードに過ぎない。あれをきっかけとして戦争が始まったというのは、真っ赤な嘘である。それ以前から戦争は始まっており、ただ直接の武力衝突は起きていなかった、というだけのことである。

アメリカは、日中戦争に中国側として参戦することにより、日本との戦争をすでに始めていた。もちろん、国際法上で戦争と認められる状態にあったわけではないが、しかし、すでに一線は越えていた。この件に関しては、別の論考でも触れている。

3

旗下の部隊を囮に使うのであれば、必ず本人たちの同意を得なければならない。作戦の内容を知らせずに、指揮官の一存で部隊を囮に使うのは、不道徳で卑怯な行いである。

当時のルーズベルトは、にっちもさっちも行かない状況に追い込まれていた。彼は、日本に対して強硬な態度を取り続け、レンドリース法を可決させることにも成功した。それによって、日本とはすでに戦争状態にあったと言ってよく、あとは、いつ武力衝突が始まるか、というタイミングの問題でしかなかった。ゆえに、アメリカとしては、自分たちの望む状況を作り出し、戦争を有利に進めることを考えねばならなかった。そして、それが難しかったのである。

なぜかといえば、アメリカは民主国家なので、世論に反することはできない。しかし、世論は戦争を望まないので、政府が自分から攻撃を始めることは不可能である。したがって、政府の望むタイミングで、日本がアメリカに攻撃を仕掛けてくるように、彼らを誘導する必要があった。そのために、あらゆる手段を検討したはずである。

そこで最も効果的だと考えられたのが、囮を使うことである。しかも、できるだけ自軍の被害を抑えられるような形で、相手の攻撃を誘発することが求められた。アメリカ首脳部にとって、ハワイは絶好の場所にあると考えられた。なぜならば、そこは日本から出発した空母の航続限界に位置し、日本側が有効な打撃を加えられるとは考えられなかったからである。また、彼らが日本人をジャップと呼び侮っていたことも、このような判断の背景にあったのだと思われる。どうせ彼らに大したことはできない、という偏見が、指導部の目を曇らせていた。

その上、この決定に軍人が参加していなかったことも裏目に出た。もしも軍人が関与していたならば、この計画の危険性に尻込みしていたはずである。しかし、彼らを囮として使うことを、本人たちに知らせるわけにはいかなかったので、すべてがホワイトハウスの密室の中で決定された。軍人たちは、戦争の素人が考えた危険な作戦の犠牲となったのである。

結果は我々の知る通り、大失敗に終わった。アメリカは有利に戦争を進めるどころか、手も足も出ない状況に追い込まれてしまった。しかも不思議なことに、アメリカ国民は、大失態を犯した政府を支持し始めたのである。これが日本であれば、そんなことはありえない。たとえば、連合艦隊が米軍の奇襲によって壊滅させられたならば、即座に内閣は総辞職に追い込まれたはずである。

しかし、アメリカではあべこべに、市民は政府を支持した。これはアメリカ人に特有の現象だと思われるが、彼らは味方の罪を問わず、すべてを敵のせいにしようとする。悪いのは失敗を犯した政府ではなく、攻撃してきた敵の方だ、という論理が通ってしまう。ために味方の罪を追及することはなおざりにされ、不正がそのまま放置される。そして、同じ過ちが繰り返されるのである。そのたびに彼らはまた、すべてを敵のせいにして片付けてしまう。だから全く成長がない。

この件に関して言えば、ルーズベルトを罷免すれば、それで片付いた話である。彼の犯した罪を明らかにし、日本との友好な関係を構築し直せば、全面戦争は回避できたかもしれない。彼を支持してしまったことが、アメリカ国民の最大の失敗である。

ルーズベルトはペテン師である。耳触りのよい言葉で人の心をつかみ、自分を徹底的に美化しようとする。リップサービスや派手な政策が得意で、大衆からは支持されるが、それがかえって自分自身を追い詰めてしまう。やがて、万策尽きたところで予想外の一手を打つ。それが図に当たるかどうかは分からないが、ルーズベルトの場合は見事に成功した。だがそれは、国家にとっては最大の不幸であった。

彼は嘘でのし上がってきた男である。国民をだまし部下をだまし同僚をだまし議員をだまし、あらゆるものを欺きながら、それが実を結んだことは一度もない。彼の最後の望みは対日戦争に勝利することだったと思われるが、結局、彼の死とともに戦争は終わった。彼の人生に何の意味があったのか、誰にも分からないだろう。

最後に、この話はどんな資料を根拠にしているのか、と疑問に思う人がいるかもしれない。これは繰り返しになるが、我々に利用可能な資料は存在しない、と答えるしかない。なぜならば、太平洋戦争に関係する資料の大部分を、アメリカ政府が秘匿しているからである。資料の公開をアメリカ政府に要求しても、国家安全保障上の理由から公開できない、という答えが返ってくるだけである。信じられない人は自分で調べてみるとよい。私の話の真偽は、彼らの資料と照らし合わせることで、はじめて明らかになるだろう。

我々は、広島と長崎に原爆が落とされた本当の理由を知らない。それも国家安全保障の陰に隠されたままである。誰も情けないと思わないのだろうか。

2020/9/5追記

もしかすると、空母機動部隊による敵地急襲という戦法自体が、真珠湾攻撃によって確立されたのかもしれない。いまでこそ、空母に航空機を搭載して敵地に接近し、爆撃機を飛ばして敵陣地や施設を破壊するというやり方は、一般常識になっているが、当時はまだ常識ではなかったのだろう。

そう考えると、アメリカ首脳部の油断も理解しやすくなる。ルーズベルトが海軍次官を務めていたのは1910年代であり、そのころはまだ、空母の重要性は十分に理解されていなかった。ゆえに、彼は空母を用いた作戦については十分な知識を持っていなかったと考えられる。そして、彼の軍事通だという自負が、新しい戦術への評価を誤らせてしまった。

日本側の攻撃が艦砲射撃や魚雷によるものであるならば、アメリカ側の損害はそれほど大きくはならないだろう。その後、生き残った艦を引き連れて日本に押し寄せれば、戦争を有利に進められる、という計画だったのではないか。別記事も参照のこと。

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