アメリカの参戦

1

どうしてアメリカは第二次大戦に参加したのか、ということは、現代史における一つの謎である。当時アメリカは中立を宣言しており、戦争に参加する理由はないように思えた。ナチスドイツとの関係も悪くはなく、ヒトラーはむしろアメリカとの戦争を避けようとしていた。また、アメリカ国民も戦争に反対しており、自国が中立を保っていることに満足していた。

一方で、アメリカが参戦する以前に、アメリカ海軍の駆逐艦が、ドイツの潜水艦を爆雷によって攻撃するという事件が起きていた。これは明らかに、ドイツ軍への挑発であった。

つまり、アメリカ政府は、公には中立を宣言し、そして、国民もそれを支持していたものの、実際には戦争を望んでいた、ということになる。問題は、それが何のためだったのか、ということである。

根強く支持されている仮説として、アメリカの第二次大戦への参戦は、ドイツの脅威からイギリスを守ることが目的だったのだ、というものがある。この説によれば、ルーズベルトは、アメリカ最大の同盟国であるイギリスの危機を救うために、わざと真珠湾攻撃を成功させた。つまり、ドイツが挑発に乗らなかったので、代わりに日本を挑発することにしたのである。アメリカは日本と戦争を始めることで、自動的に、日本と同盟を結んでいたドイツとも、戦争を始めざるをえなくなる。反戦の世論を抑えて国民を戦争に引きずり込むためには、そうするしかなかった、という考えである。

このストーリーは、一見筋が通っているように見える。唯一の欠点は、どうしてアメリカがイギリスを助けようとしたのか、という動機が欠けていることである。自分の命を懸けてまで、イギリスのために戦おうとするアメリカ人が、本当に存在したのだろうか。

アメリカの歴史は、イギリスとの対立の歴史である。ゆえに、アメリカ国民のイギリスに対する印象は、それほど良いものではなかったはずである。イギリスやヨーロッパがどうなろうと、それを気にかけるアメリカ人は少数派であっただろう。

このような事情を考慮に入れると、アメリカはヨーロッパを救うために戦争を始めた、というストーリーには、あまり説得力がないように思える。たとえルーズベルト個人が、並みのアメリカ人以上にヨーロッパに思い入れがあったのだとしても、それだけで戦争を始める理由になるかどうかは疑わしく思われる。むしろ、アメリカは、日本との戦いを始めるためにヨーロッパの戦争を利用した、と考えるほうが自然ではないか。

アメリカは、太平洋の覇権を完全に手中に収めるために、日本との戦いを企んでいた。そのために、日本と同盟関係にあるドイツとの開戦を望んでいたのである。このストーリーは、十九世紀以来アメリカが追求してきた、太平洋における膨張政策とよく一致している。そして、現代の世界において、このストーリーが語られなくなった理由もはっきりしている。実際には、アメリカは、太平洋の覇権を手にし損ねたからである。

もちろん、日本との同盟関係によって、アメリカの覇権は確立されているように見える。しかし、そもそもアメリカが望んでいたのは、そのようなものではなかった。それは、米比戦争を思い出せば分かることである。アメリカの帝国主義と人種差別がどこまで野蛮になりうるかは、世界中の誰もが知っている。本当は彼らは、日本を征服し、完全に自分たちの支配下に置きたかったのである。ところが現実はそう上手くは行かず、日本の独立を認めざるを得なかった。今は日本人の好意によって、かろうじて覇権を手にしているに過ぎない。

つまり、このストーリーにおいては、アメリカは敗北したことになるのである。だからアメリカ人は、イギリスのために戦った、というストーリーを選ぶしかなかった。そうすれば、アメリカが勝ったことになるからである。

アメリカ政府のプロパガンダ能力はすごいもので、負けた戦争でさえ、勝ったことにしてしまう。そのためアメリカ人は、自分たちが負けたことにさえ気付かない。歴史上最も愚かな国民である。

2

しかしこれに関しては、日本も共犯である。日本人は、自分たちが負けたふりをすることで、アメリカ人をだましてきたのである。日本がアメリカに対して従順であるのは、ある意味で、アメリカをコントロールするためであろう。

アメリカ人は、日本人の従順さを受け入れざるをえない。なぜならば、アメリカは勝者だからである。もしも、アメリカが日本を敵視するならば、彼らの勝利そのものが幻と消えてしまう。ゆえに、アメリカが勝者として振る舞い続ける限り、彼らは日本に対して敵対的な行動をとることができない。

さらに、日本の武装解除はアメリカが望んだことであり、憲法九条もアメリカが日本に押し付けたものである。それは彼らの勝利の証である。したがって、アメリカが勝者であり続ける限り、日本は戦争をする必要がない。また、日米同盟の片務性に関して、アメリカが日本に文句を言うのは筋違いである。なぜならば、日本に武装解除を迫ったのは、当のアメリカだからである。

そもそも日本は、戦前も戦後も一貫して自由主義国家であった。もしもアメリカが、日本と協力して共産主義と戦う、という決断をしていれば、共産主義との戦いはずっと楽なものになっていたはずである。しかし、あの戦争の結果として、日本は武装を放棄し、共産主義と戦う必要がなくなってしまった。我々が何もしなくても、アメリカが勝手に戦ってくれるのだから、こんなに楽なことはない。我々は、アメリカ人の愚かさに感謝しなければならない。

彼らは、自分で自分を不利な立場に追い込んでいったのである。そして、そのような自縄自縛が日本に利益をもたらした。我々は、アメリカとの争いからも、共産主義との戦いからも解放され、経済的な繁栄を謳歌することができた。

それは、我々の罪だろうか。

もちろん違う。彼らが、自分で自分をだましただけなのだ。

しかし、日本もそろそろ、国際社会における責務を果たしても良いころである。アメリカの衰退は明白であり、アジアを敵に回す力はもう残っていない。日本が自らの立場を明確にするならば、アメリカは降参するしかないだろう。

2.1

また、ルーズベルトがスターリンにだまされたのは、おそらく目先の利益に踊らされたためだろう。スターリンは、ルーズベルトの日本征服計画に協力すると申し出て、まんまとルーズベルトの信頼を得た。その結果として、ソ連は、アメリカから自国に有利な協定を引き出すことに成功したのである。しかし、スターリンがどこまで本気だったかは分からない。満洲が取れればいいくらいに考えていたのではないか。

何かを欲する者は、それに関してだまされる。お金が欲しい者はお金に関してだまされ、覇権が欲しい者は覇権に関してだまされる。ルーズベルトがスターリンにだまされなければ、アメリカの覇権はもう少し強固なものになっていただろう。

2.2

ここで、沖縄戦の価値と、米軍基地問題について、少し考えてみたい。

沖縄における日本軍の抵抗は激しかったが、最終的に日本側の降伏で戦闘は終了した。それからアメリカ軍による占領が始まり、一九七二年に日本へ返還されるまで、それは続けられた。しかし本土復帰後も、沖縄には多数の米軍基地が存在し続けている。

そのような米軍基地の問題が、一方にはある。他方で、沖縄戦の最中に、住民の集団自決や、日本軍による住民の殺害が起きていたとされ、それを問題視する人も多い。彼らは一般に、日本軍の残虐さとアメリカ軍の人道性を強調する。

しかし、もしも彼らの言う通り、日本軍の残虐性だけが問題なのだとしたら、沖縄県民はどうして苦しんでいるのだろうか。アメリカ軍がそれほど優しい人々であるならば、アメリカの軍政に移行したことで、沖縄県民は幸せになったのではないか。残虐な日本軍から解放されて、慈悲深いアメリカ軍の手に渡ったというのに、どうして沖縄県民は、いまだに苦しんでいるのか。

沖縄における集団自決を非難しながら、アメリカ軍基地をも非難するというのは、不誠実な態度である。集団自決そのものが戦略的に正しかったかどうかは、ここでは議論しない。しかし、日本を防衛する上で、沖縄における奮戦が何の役割も果たさなかったとは言えないだろう。もしも本土が、沖縄と同じようにアメリカ軍の手に落ちていたならば、日本は完全に植民地にされていただろう。その場合、日本人が味わったであろう苦しみは、今の沖縄県民とは比較にならないものだったろう。沖縄は、自らの身を挺して、日本を守ったのである。

ゆえに、沖縄県民が日本政府に要求すべきことは、ただ一つである。それは、アメリカとの戦争である。今度こそアメリカに勝って、はやく沖縄を開放してほしい、そう要求するべきではないのか。日本は沖縄のために何度でも戦う、と、どうして言えないのか。

アメリカ人は野蛮ではない、という主張には何の根拠もない。ベトナムやイラクを見たあとで、どうしてそんなことが言えるのか。団結した人々の間に不和の種をまき、仲違いさせて力を削ぐ。それがアングロサクソンのやり方である。何度だまされれば気が付くのか。沖縄戦の最中にルーズベルトは死んだ。それが、この戦いの価値である。

2.3

戦争とは結局、大将首の取り合いである。太平洋戦争の場合、アメリカは天皇の首を取り損ねた。そして、アメリカが攻めあぐねている間に、彼らの大将首が勝手にもげてしまった。それで、なし崩し的に日本の勝利となったわけである。

また、第二次世界大戦の結果、得をしたのはソ連と日本である。戦後、ソ連は世界を二分する覇権国家の一つになり、日本は空前の経済発展を遂げた。一方で、イギリスとアメリカには損失しかなかった。イギリスは植民地を失い、覇権国家の座から転落した。アメリカは共産主義という強大な敵と、長い持久戦を戦わねばならなくなった。

互いの得失を勘定すれば、どちらが勝者で、どちらが敗者であるかは明らかである。しかしながら、ソ連は既に存在しない。したがって、日本が唯一の戦勝国である。

東京裁判は勝者の裁きではない。あれは、敗者が勝者を裁いているのである。まさに茶番と言うしかない。

2.4

極東国際軍事裁判においては、

 (イ)平和に対する罪
 (ロ)通例の戦争犯罪
 (ハ)人道に対する罪

という三つの罪が規定され、判決が下された。もしも、これらの項目が普遍的な罪として認められるのだとすれば、我々は、この法をあらゆる戦争に対して適用しなければならない。また、その犯罪が重大なものであるならば、被疑者が死亡している場合でも、調査が行われるべきであると私は信じる。さらに、これらの法は事後的に適用することが許されるので、アメリカの場合、植民地時代にまで遡って調査を行わねばならない。

(イ)の平和に対する罪には、宣戦布告を行わない侵略戦争が含まれる。したがって、北米入植者によるインディアンの虐殺と、彼らが居住していた土地の占領は、この罪の対象となるだろう。

また、(ハ)の人道に対する罪では、人種的理由にもとづく迫害行為や奴隷化が、犯罪として規定されている。これは、インディアンの迫害および、同時期に行われたアフリカ原住民の奴隷化に対して適用されるだろう。

もちろん太平洋戦争に関しても、アメリカ政府内部で謀議があったかどうか、また、広島・長崎への原爆投下が人道に対する罪に当たるかどうかなど、調査すべき点は多い。当時の陸軍長官スティムソンが日記に書き残した、「問題は、相手から先に攻撃の矢を射かけさせるように、どうやって仕向けるかだ」という言葉は、共同謀議の証拠になりうるのではないか。そうであるならば、当時のアメリカ政府の高官たちには、平和に対する罪の疑いがある。平和に対する罪は、死刑または終身刑に相当する。この調査を進めるにあたって、我々は、アメリカ政府に証拠の提出を要求しなければならない。

そもそも、これらの法によって日本側のみが裁かれ、アメリカ側が一切裁かれていない、ということがおかしいのである。法の下の平等という原則が踏みにじられている。アメリカ自身が、戦争行為が犯罪として裁かれうることを示したのだから、彼らが犯した罪は、最も厳しく追及されねばならない。アメリカ人は、法の精神を理解しなければならない。

東京裁判は、ある意味では奇貨である。そこで示された法に基づいて、判決が下され、実際に刑が下されたということは、それらの法に現実の力があることを証明している。そして、刑を下した連合国は、その法の正しさを否定することができない。我々は、これを存分に利用せねばならない。

3

3.1

今後日本が、私がここで述べたような反アングロサクソン、反キリスト教的な外交を展開しようとしたときに、一番の不安材料となるのは、南米諸国かもしれない。南米にはキリスト教が根付いており、しかもアメリカの影響力が大きい。彼らがどれだけ、アメリカから独立した政治判断を下せるか、予想が難しい。この点に関しては、フィリピンも同様である。フィリピンは東南アジアではなく、政治的には南米に属しているように見える。

過去数世紀にわたって続く南米の政治的な混乱の原因は、キリスト教である。キリスト教は社会の構造を破壊し、文化を破壊する。政治的に安定した社会を実現するためには、キリスト教の撲滅が必要不可欠である。

キリスト教は断固として否定されねばならない。これは、私の政治的な信念である。

3.2

では、ロシアはどうか。ロシアもキリスト教国であり、我々が反キリスト教の立場をとるならば、ロシアとの協力も難しいのではないか。

私は、ロシアとの協力は可能だと思う。ロシア人はもともと、モンゴル人の一種のようなものである。彼らは、宗教の問題よりも、内陸地域における政治的な安定を優先せざるをえない。

ロシア人は一見、イデオロギーによって行動しているように見える。だが、その本質はむしろ権力の追求にあると思う。共産主義は、権力の集中を可能にするから、ロシアで成功を収めたのであって、イデオロギーそのものが問題だったわけではない。様々な民族をひとつの権力の下にまとめることができれば、イデオロギーは何でもよいのである。それが多民族国家ロシアの本音であり、その政治的な姿勢はモンゴル帝国と変わらない。

だから、ロシアの対応には、ある程度の柔軟性があるだろう。彼らは主義主張や原理よりも、実際の問題を優先する。お互いの利害が一致すれば、協力は不可能ではない。

3.3

少し説教臭くなるが、日本人はもっと、ロシアについて知る努力をするべきである。多くの日本人は、イギリスやフランスの歴史には詳しいが、ロシアの歴史は何も知らない。まず、お互いの理解を深めなければ、協力関係を築くことはできない。

ピョートル大帝の話などは、幕末や明治のころにも似ていて、日本人にも受けると思う。ロシアはもともとアジアの国であるが、ピョートルの時に西洋化を推し進め、国家の大改造を行った。対外的には膨張政策をとり、領土の拡張に努めた。その結果、西欧列強と肩を並べる大国に成長したのである。そういう意味では、日本と非常によく似た経験を持つ国である。

また、ロシアは寒い。極寒とも言える環境の中で生活しているロシア人は、常に暖かい土地にあこがれている。彼らにとっては、北海道でさえ南国の楽園である。彼らの南方への拡張は、あるいは生物の自然な欲求なのかもしれない。だから彼らは、一度手に入れた温暖な土地は絶対に手放そうとしないし、それを認めれば、さらに多くの土地を要求してくるだろう。それはあたかも、飢えた犬が鳥の骨にかじりついて、決して離そうとしないようなものである。ゆえに、領土問題に関して、ロシアに譲歩してはならない。代わりにヒートテックでも与えておけば十分だろう。

日本にとっての北方領土は、ロシアにとっては南方領土である。それを肝に銘じておかねばならない。

参考文献

セシル・チェスタトン『アメリカ史の真実』渡部昇一監修、中山理訳、祥伝社、二〇一一年

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