新型コロナ問題の最終的解決

イギリスの変異型ウイルスに対して、既存のワクチンの有効性が弱まる可能性が指摘されている。そこでアストラゼネカ等の製薬会社は、変異株に対応できるワクチンの開発を急いでいるという。これがイタチごっこになることは、冷静に考えれば分かる。

ワクチンの接種者が増えるほど、ウイルスに対する淘汰圧が強まり、ワクチンが効かない方向に進化を始める。それに対して人間側は新しいワクチンを開発し、ウイルスの側もさらに進化を続けるだろう。結局、人類全体がコロナに感染するまで、パンデミックは終わらないのではないか。

新型コロナは新型の風邪ウイルスである。たとえば、ノロウイルスは風邪ウイルスとして社会に定着しているが、このウイルスが歴史上はじめて人類社会に姿を現したとき、おそらく新型コロナと同様のパンデミックを引き起こしたはずである。それがある一定以上の感染者を得たときに、人間の免疫系と平衡状態に入り、風邪ウイルスとして社会に定着することになった。いまのパンデミックは、新型ウイルスが社会に定着するまでの過渡期的な現象だと考えられる。


ここで、新型コロナ対策についてあらためて述べておく。すでにワクチンが開発されているが、上に述べたように、これで問題が解決するという保証はない。ゆえに、ワクチンによる封じ込めができなかった場合を想定して、対策を考えておかねばならない。

対策とは集団免疫である。我々は感染を押さえ込むのではなく、一定のペースで感染を拡大させ続けることを考えなければならない。たとえば一日あたり十万人の人間が感染するならば、三年程度で日本人全員が感染し終わることになる。そのように、感染爆発を防ぎつつ、新規感染者を一定の水準に保つ政策が必要になるだろう。

このとき、一日あたり二千人程度の死者が出ると予想されるので、この規模の死体を処理できるような態勢を整えておく必要がある。同時に、医療のあり方は根本的に変化しなければならない。きつい言い方をすれば、重症患者を見捨てる医療が必要となる。これはウイルスの弱毒化という観点からも支持される方針である。

基本的に、人間の免疫系に任せておけばよい問題だと思う。


1828年、現在の新潟県を三条地震が襲い、1500人以上の死者を出した。この地震を経験した良寛は、死ぬる時節には死ぬがよく候、と言った。人間死ぬときはすっぱり死んだほうがいい、ということである。

また、他家に嫁いだ妹と再会したときには、あまり長く娑婆を見さっしゃんなよ。長生きしてもろくなことはない、と。

人間かくありたいものである。生きていれば必ず死ぬのだから、死ぬのが怖くて生きてられるか、くらいの心意気は持ってほしい。

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