歴史修正主義について

歴史修正主義、という言葉が独り歩きしている。これは本来、チャールズ・ビアードのような歴史家に対して与えられた名前である。

ビアードは1874年生まれのアメリカ人で、歴史学者兼政治学者である。関東大震災後の日本に来て、東京の復興計画に携わったことでも知られている。どうして彼の仕事が歴史修正主義と呼ばれているのかというと、第二次大戦終結後に、彼が著した数冊の本に原因がある。その中で彼は、太平洋戦争に至るまでのアメリカ政府の外交政策に、失敗がなかったかどうか、という問題を検討した。

結果は否定的で、アメリカ政府の政策には欠点があり、それが日米の対立を招いたという点で、アメリカ政府にも戦争責任があることを認める内容であった。ちょうど東京裁判において、日本の政治指導者たちに戦争責任が認められようとしていたときに、アメリカ政府の責任を追及する研究がアメリカ国内において行われていたということは、アメリカ人の誠実さを示す最良の例だと言えるだろう。

しかし、戦争終結後の祝賀ムードに湧くアメリカ国民には、彼の研究は到底受け入れられるものではなかった。その後の歴史学の世界でも、彼の研究は無視され続けたのである。最近、彼の本が日本語に翻訳され、我々一般読者も気軽に読めるようになったということは、本当にありがたいことである。

では、どうして彼の仕事は修正主義と呼ばれるようになったのだろうか。おそらく、この場合の修正とは、アメリカ人の歴史認識を修正することを意味していたのだろう。戦争責任はすべて日本にある、というアメリカ人の認識を覆す研究だったから、修正主義と言われた。ここには、事実を否定したり、事実を書き換えたりする、という意味はない。そうではなく、事実を明らかにすることで、誤った認識を正す、という意味に理解されるべきであろう。ビアードの仕事は、修正主義という名前の通り、膨大な事実を積み上げることで、歴史の真相を明らかにしようとしたものであった。

最近の日本では、南京虐殺は捏造だとか、七三一部隊は人体実験を行っていないとか、事実に反する主張を行う人々が、歴史修正主義者と呼ばれているようである。しかし彼らは、歴史を修正するというよりは、むしろ歴史的な事実を否定しようとしているのだから、「歴史否定主義者」あるいは「歴史否認主義者」と呼び、本来の歴史修正主義とは区別するべきであろう。歴史否定主義者とは、都合の悪い事実を無視し、なかったことにして、歴史を歪めようとする人々である。

さて、彼ら歴史否定主義者は、日本政府の失策を認めず、見て見ぬふりをする。だが一方で、日本政府の失策をあげつらいながら、アメリカ政府の失策には目をつぶる人々もいる。しかしながら、当時のアメリカ政府の政策に誤りがあったことは、膨大な証拠を積み上げることで、ビアードがすでに明らかにしている。したがって、太平洋戦争前夜におけるアメリカ政府の失敗を無視することは、歴史的な事実を無視するという点で、歴史否定主義と呼ばれても仕方がないことである。

そして、この失敗を直視しないことから、様々な偽りが生まれてくる。たとえば、太平洋戦争は真珠湾攻撃によって始まった、という話など。これこそは、歴史否定主義を批判する人々の信じている物語である。

つまり日本においては、歴史否定主義を非難する人々すらも、歴史否定主義の一翼を担っていることになる。一方は日本政府の失策を否定し、他方はアメリカ政府の失策を否定する。彼らはお互いに非難し合っているが、結局同じ穴の狢である。左右両翼の歴史否定主義者たちが、めくら同士のけんかをしている。本当に救いようがない。

日本政府の失敗と同様に、アメリカ政府の失敗や、イギリス政府の失敗についても、正しく認識しなければならない。そうでなければ、本当の歴史を知ることはできない。

この場で言うべきことは以上である。あとは、このHPの過去の記事を参照していただきたい(タグ:大東亜戦争)。

参考文献

チャールズ・A・ビアード『ルーズベルトの責任(上・下)』藤原書店、2011、2012

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