私の履歴書

あまり自分語りは得意ではないのだが、この辺で一度自己紹介をしておきたい。

大学院時代

私はむかし大学で物理学をやっていた。といっても、修士号をとったあと博士課程で退学しているから、研究職だったわけではない。私が大学院で研究していたテーマは量子ホール効果であった。これがすこぶる面白く、とてつもなく美しい現象だった。知れば知るほど謎が増え、この現象をどうやって理解すればよいのか、途方に暮れるばかりであった。

一応理論的な説明はなされているのだが、これがとても納得できるものではない。それでも整数量子ホール効果はまだいいほうで、分数量子ホール効果となると、まともな理論は存在しないといってよい。はっきりいって、量子ホール効果に関する理論はすべて、こじつけの域を出ていない。

いま整数、分数という話をしたが、これは電荷素量を単位として、電気伝導率がその整数倍になるか、分数倍になるか、という話である。量子ホール効果とは、電子の量子的な性質が巨視的な状態として観測される現象であり、電子一個の状態が、物質の電気伝導率として現れる現象である。

正確な言い方ではないが、電気伝導に関係する電子が、一個であれば伝導率は一倍、二個であれば二倍になる、と考えてほしい。そうすると整数量子ホール効果は理解できる。電子一個一個の状態を観察していることになるからである。しかし不思議なことに、伝導率に分数の値が出てくることもあり、それが分数量子ホール効果と呼ばれている。

電子一個が、一倍の整数量子ホール効果に相当するのだとすれば、三分の二倍の分数量子ホール効果は、三分の二個の電子に相当する現象だということになる。一体それはどういうことなのか。三分の二個の電子とは何なのか。

私が量子ホール効果の研究を通して感じたことは、どうやら電子は存在しないらしい、ということだった。というのも、電子が分割不可能な素粒子であるとするならば、三分の二個の電子など存在するはずがないからである。だが量子ホール効果においては、三分の二個の電子が顔をのぞかせてしまっている。これはタヌキの尻尾である。

そこで私は、原子論は誤りであると信じるようになり、原子論によらない物理学を開発しなければ、量子ホール効果に満足のいく説明を与えることはできない、と確信するようになった。そんなふうだったから、私は博士号をとり逃してしまった。量子ホール効果の沼にはまってしまったのである。

独学時代

しかし、大学で物理学の教育をみっちり受けていた私は、原子論によらずに物理学を考えるということが、まったくできなかった。いまの物理学は原子論を前提として組み立てられており、原子が存在しないとなると、どうやってものを考えてよいのか、まったく分からなかったのである。

途方に暮れた私は、過去の物理学を勉強し直すことにした。最初に手を付けたのはエルンスト・マッハである。彼は世紀末ウィーンの物理学者で、統計力学で有名なボルツマンの同時代人であった。ボルツマンは原子の存在を仮定した上で、力学と熱学を結びつける統計力学を提唱し、その発展に大きく貢献した人物である。一方マッハは反原子論者であり、ボルツマンの理論をこっぴどく批判して、彼を自殺に追い込んでしまった(見方による)。

そういうわけで、マッハは原子論を批判していた人だったから、私は彼の著作を勉強することにした。非常に勉強になったが、まだ足りないと思った。そこで次はアリストテレスを学ぶことにした。

アリストテレスは名前こそ有名だが、彼の著作を読んだことのある人は、スマトラトラの数よりも少ないかもしれない。彼は四元素説を唱えた人で、四元素は相互に変化し合うものだと説いている。これは、物質の変化の根底には不変の原子が存在するとした、彼に先行するデモクリトスやレウキッポスの原子論を否定する意見であり、アリストテレスも反原子論の立場をとっていたと言える。

だが、アリストテレスを読み解くのは苦労した。まず何を言っているのか分からない。普通こういう古典を読むときには、研究者が書いた注釈を参考にして読み進めるものなのだが、その注釈書が本当に少ない。たとえばトマス・アクィナスとかアヴェロエスなどが、アリストテレスの注釈家としては有名なのだが、彼らの著作はほとんど日本語に翻訳されていない。

いったい日本の哲学者は何をやっているのかと、憤懣やるかたない思いである。デリダだのドゥルーズだのをやってる暇があったら、ちゃんとスコラ学の勉強をしなさいと言いたい。基礎がしっかりしていないから、日本の哲学はどうしようもなくレベルが低いのではないか。アリストテレスも知らない人間が哲学者を名乗るなど、おこがましいにもほどがあろう。

閑話休題。とにかく利用できる注釈が少ないので、それらを漁るように読んだ。一番参考になったのはハイデガーの講義録である。彼は哲学者というより古典学者として優秀であり、ギリシャ哲学の講義録は、他のどの著作よりも面白いと思う。その中にアリストテレスの『形而上学』第十巻を解説したものがあって、これが非常に面白かった。私はこれを読んではじめて、アリストテレスの読み方が分かった気がした。

それからアリストテレスを読み尽くして、まだ足りないと思った。彼の哲学は世間で言われているほど優れたものではなく、曖昧で言葉足らずなものだった。とくに原子論への批判は隔靴掻痒というか、肝心なところに手が届いていない物足りなさがあった。

もちろん、彼の基本的なスタンスは悪くなかった。彼の自然学は感覚に基づくものであり、一切の仮説を排除するものだったと言ってよい。原子論は仮説である。なぜならば原子は小さすぎて、我々の感覚ではとらえることができないから。そういった仮説を排除し、感覚によって知りうるもののみが学問の対象となりうる、と考えた彼の態度はまさに科学者の模範だった。いまでは彼の天動説や四原因説は、非科学的として批判されることも多いが、学問の方法は科学的なものだったと思う。

仏教との出会い

さて、アリストテレスに満足できなかった私は、次に仏教を学ぶことにした。これに手を出したのが最後だった。仏の教説を学ぶにつれて、私は自分の人生が吹き飛ぶほどの衝撃を受けた。唯識派の原子論批判に比べれば、アリストテレスやマッハなど幼児のたわごとにすぎない、と思えるくらい彼らの知性は卓越していた。仏の智慧に比べれば現代人の知性など無に等しい。私はそう確信してしまった。

仏の教えを学ぶにあたって、学びやすい現代語の資料からひも解くことにした。それだけでもかなり量は多く、様々な経典を学ぶことができた。中でも強烈だったのは、龍樹の中論である。そしてその注釈書であるチャンドラキールティ(月称)の『プラサンナパダー』に大いに学ぶところがあった。幸いこの著作はサンスクリット資料が残されており、詳細な和訳が出版されている。

大学の図書館でこの書物を読みふけっていたときが、私の人生で最も充実した時間だったかもしれない。そしてこのときを境にして、私の人生は決定的に変わってしまったと感じる。

その後は漢訳の仏典にも手を出し、また自宅で座禅もやるようになった。和訳の仏典を読み尽くしていた私にとって、漢文の経典を読むことは難しくなかった。お経というのはどれもだいたい同じことが書いてあるので、何となく書いてあることの予想がつく。そうすると、慣れない漢文でも何となく読めるようになってくる。華厳経を最初から最後まで読み通したときには、自分は漢文が読めるようになった、と自信をつけたものである。実際には、漢字の世界はそれほど甘くなかったのだが。

座禅に関しては、色々な書物を参考にした。テーラワーダ仏教会のヴィパッサナー瞑想法とか、大乗起信論の瞑想法とか様々試してみたが、結局座るだけでよい、というところに落ち着いた。座禅は非常に難しく、普通の人は誰か師匠を見つけたほうがよいと思う。私は自分でいうのもなんだが、けっこう精神集中が得意なので、一人である程度コツをつかむことができた。

少しだけ私のやり方を説明すると、まず壁に向かって座り、壁の向こう側に自分と向き合うようにして、仏陀が座っているところを想像する。仏陀の落ちついたイメージと向き合っていると、自分の心も落ち着いてきて、スムーズに瞑想に入ることができる。これが私のコツである。

今に至る

さて、そんなこんなである程度仏教にも精通し、では何をしようかと考えたわけである。そのときの現実世界での私の状況はというと、大学院には行かなくなったまま、就職もせず親の金で一人暮らしを続ける、いわゆる引きこもりのニートであった。周りからは人間扱いされず、ゴミ屑を見るような目で見られた。これだけ苦労を重ねて勉強をしてきたのに、ずいぶん理不尽な仕打ちだと思ったものである。

しかしまあ、そんなものだという思いもあった。一休や良寛を例に出すまでもなく、仏教僧とは乞食のことであり、世間から見れば一種の狂人にすぎない。本当は世間の方が狂っているのだが、彼らから見れば、正しい知恵を得ている我々の方が狂っているように見えるのである。

空海が言ったように、世間の人々は「生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗し、死に死に死に死んで死の終わりに暗し。三界の狂者は狂ぜるを知らず、四生の盲者は盲いたるを知らず」。その狂えるを知らない狂者に対して教えを説こうというのだから、我々の仕事は並大抵のことではない。あらゆる侮辱や屈辱を甘んじて受け、その上で相手を憎まず恨まず、それが無知ゆえの行為だと観念し、彼らに慈悲の心を向ける。それができてはじめて一人前の仏教者だと言えるのである。

いろいろ苦労もあったが、細かいことを話す必要はないと思う。私はいまでも世間から虐げられたままである。それが別段悪いことだとも思わないが、自由に活動できないことは残念に思わざるをえない。世間の人々に伝えたいことはたくさんあるが、悲しいかな彼らは聞く耳を持たない。人間の無知もここまでくると、呆れるを通り越して称讃してやりたくもなるが、仏教徒としてはそういうわけにもいかない。正しい教えを語り続けるしかないのである。

冒頭の物理学の話だが、いまはもうあまり興味がなくなってしまった。それでも一応けじめはつけておきたいと思って、物理学に関する論文を一篇書いておいた。原子論を批判する内容で、非常に難しい話になっていると思う。原子論によらない物理学を構築することはできなかったが、その手掛かりを与えることはできたと思う。

それに続けて科学批判の論文を一篇と、神経科学の論文を一篇書いた。神経科学の話はかなり重要で、人間の精神に対する西洋的な理解がいかに間違っているかということを、意味ニューロンの存在を仮定することで解説したものである。これを理解できる人がいるかどうかは分からないが、ぜひ読んでほしいと思って掲載している。

はっきりいって、この世界には私よりも賢い人間は存在しない。私のように世間からゴミ扱いされながらも、学問だけを続けた人間は他にいないからである。我こそはと思う人は、このHPを理解しようとしてみてほしい。多分無理だろう。

私はいまでもときどき、量子ホール効果の、あの美しいプラトーをもう一度見てみたい、と思うことがある。叶わぬ夢だと分かってはいるが、あれほど甘美な曲線はこの世に二つとないだろう。私も量子の魔力に魅せられた一人である。

これが私の人生である。一応書いておいたほうがよいかと思って書いておく。

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