戦争と平和

1

核兵器がなくなれば、また戦争ができるようになる。話し合いよりも、戦争で解決したほうが楽なこともたくさんある。平和を実現するためには、何よりも戦争が一番の近道である。

むろんそれは、基本的な道徳が共有できていれば、ということだが。キリスト教徒がいなくなれば、戦争はそれほど残酷なものにはならないだろう。

本当に恐ろしいのは、戦争ではなく無知である。道徳を知らないことである。破局をもたらすものは無知であり、平和をもたらすものは戦争への覚悟である。

どんなときでも、戦争を起こすのはルーズベルトのような馬鹿である。兵の命に責任を持つ将軍は、簡単には戦争を始めない。無責任な将軍はすぐに戦争を始める。

戦争を恐れてはならない。戦争に対する恐怖を利用されてはならない。その結果は、戦争よりも恐ろしい搾取である。

2

キリスト教の宣教師はかなりクレイジーである。

彼らは、キリスト教の信仰を広めるためなら、何をしてもよいと考えている。神のためなら何をしても許される。だから、神を信じない人間にどんなことをしても、罪にはならない。

そんな人々だったから、戦国時代の日本人が彼らを嫌ったのはあたりまえで、秀吉以来の禁教令と鎖国によって、日本はキリスト教を排除することに一度は成功した。

それが江戸末期になると、彼らは装いを新たに再登場した。今度は以前のような野蛮さはなくなり、見た目は立派になっていたが、けっきょく中身はあまり変わっていなかった。キリスト教の排他性は人種差別に変わっただけだし、自己中心的な考え方も全く改まっていない。彼らは一つも進歩していなかったのである。

我々はまず、彼らに戦争のやり方を教えてやらねばならない。責任のとり方を教えてやらねばならない。そのほか様々なことを教えてやらねばならない。

学校一の問題児に割り算を教えるように、辛抱強く丁寧に教えてやらねばならない。

<日本の平和 終>

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